なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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剣道、合気道、忍者・・・

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/08/04 11:59 投稿番号: [182639 / 203793]
韓国の「起源捏造」は酷いものがありますが・・・

・剣道
日本に於ける「剣道」の初見は、1889年に日本武徳会が、講道館の「柔道」に倣い、
それまでの「剣術・撃剣」を「剣道」と命名したのが初見ですね。
大元を辿れば、室町・戦国時代に盛隆した剣術諸派に遡ります。

韓国は「コムド」の名を1896年初見である、と言っておりますが。
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/history.htm
この時点で既にアウト。

何故、1889年に「剣道」と名を改名した日本の剣術道が、1896年(7年後)に初見する「コムド」が起源になるのやら・・・

更に上記サイトでは、明代の兵学者である茅元儀が、1620年代に著した「武備志」には「朝鮮勢法」なるものが記載されている、
とありますが・・・・・

これは日本の剣術(または中国がそれを研究した倭刀術)の模倣であり、しかも、短期間に失伝しています。

しかもこの「朝鮮勢法」
型を見れば剣道・剣術のご専門家ならわかると思いますが・・・
もろ「陰流」の型・・・

「陰流」は成立が室町時代で、愛洲移香斎久忠が創始した剣術の流派。
兵法三大源流の一つ。

「初期倭寇」にも学んだ者もいたと言われるほど。

結局「武備志」の「朝鮮勢法」とは、日本の陰流巻物の内容を、中国人が「倭刀」を使って「なぞってみた」ってやつですし。

韓国人の言う「本国剣法」も。
新羅を起源とする、とありますが。
別段、新羅や三国時代含む半島の剣術(が、成立したかは不明ですが)を否定するつもりはありませんが。

基本的に半島の武術は、弓術中心で、剣術は「片手に盾、片手に諸刃の直剣」のスタイルですし(李氏朝鮮時代まで、そうでした)

これがどうして「両手で使う、片刃の反りの入った日本刀」での剣術を起源とする
「剣道」の起源になるのか・・・

・合気道
植芝盛平(1883年 - 1969年)によって創始された武道。
起倒流柔術・柳生心眼流柔術・大東流合気柔術を元に1942年「合気道」とする。

・韓国人の主張の矛盾。

「合気道は三国時代の新羅三郎 源義光が始祖だと知られており」

大東流合気柔術中興の祖である武田惣角が、
新羅三郎義光(源義光)を流祖とし、甲斐武田氏に伝えられ、甲斐武田氏滅亡後、
会津藩主・保科家に引き継がれた後は、会津藩御留流の「御式内」として継承され、
明治維新後に武田惣角が、会津藩家老であった保科近悳(西郷頼母=西郷四郎の養父)から御式内の技法を伝承されたといっておりますが。

まず
1.大東流伝承の歴史は武田惣角の口承しか存在しない。
2.武田惣角以前の伝書が発見されず、歴史的記録も存在しない。
3.騎馬を用いた武術が発達した甲斐武田氏で、座技が多い大東流が発展したと云う事実は考証し難い。
4.平安期〜鎌倉期の武士の表武芸は弓術第一、第二が槍術であり、所謂「組討技」(柔術の原型)は未だ無かった。
(「組討技」の発展は、室町中期以降)
5.「新羅三郎(源義光)」は「日本人」(苦笑)・・・これって、確か半尻情氏が必死になって貼り付けてたなぁ・・・

実際は、西郷頼母から伝承された御式内に、武田惣角が自ら修行してきた
古流剣術(小野派一刀流と直心影流を主に修行したとされている)や、
槍術・柔術の技法を加えて体系付けられたとする説が一般的。

その「大東流合気柔術」を母体とする「合気道」の起源は「半島に無い」(苦笑)

・忍者
「忍者」という言葉自体、戦後の「忍者小説」ブームで「創造」されたもの。
本来は一般的な呼び名は無し。

そもそも「忍者」に相当する集団は日本全国に多く分布する。

言ってみれば「不正規戦・情報収集・非合法活動」を担った集団が、後世「忍者」と言われた人々。

半島起源でも何でもない。
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