日中歴史共同研究 東北工程合意 Ⅰ
投稿者: acura95_87 投稿日時: 2005/05/08 15:57 投稿番号: [179138 / 203793]
呼称:辺境地域と朝鮮半島
日本海以外の東シナ海(東中国海)、南シナ海(南中国海)、黄海(東海)の呼び方については合意に至らず。
《日中東北工程合意事項》
【朝鮮半島中部・北部の地域】
半島の主要部である平壌・京城の一帯は楽浪郡・帯方郡という漢の支配下にあり、朝鮮族を構成する馬韓・辰韓・弁韓は僅か半島の南・東端を占めていた。
新羅は燕の出身者が
百済は夫餘族が、任那は大和族が支配していた。
(・`(エ)´・)
【高句麗】
後漢末から3国争乱に乗じ、夫餘族は西は遼河を超え現在の満州の大部分を支配下に、東は大同江を超えて新羅・夫餘族の末裔である百済および任那と境界にまでその版図を拡大した。
高句麗滅亡後は、その末裔によって建国された”渤海”、”金”、”清”に受け継がれたが、これらはいずれもれっきとした満州族(女真族)の国家である。
<`ハ´>
【朝鮮半島南部の地域】
「任那」または「加羅」「伽耶」諸国は、多くの日本人が住んでいた日本にゆかり深い地域であり、夫餘族建国の百済の王には、日本生まれ日本育ちの王や日本人の血を引いていた王たちがいた。
< `ω´ >
【筆、墨、紙の伝来】
筆、墨、紙は、満州の女真族の一族である夫餘族が建てた高句麗の僧 曇微が製法を伝え、漢族が発明した「漢字」を読むときの記号として、飛鳥時代から「カタカナ」が使われ始め平安時代に「ひらがな」ができ
日本文化の発展に貢献した。
( `(エ)´ )
【渤海国】
満州から沿海州、朝鮮半島北部を支配した渤海は、698年ツングース系統の民族(マッカツ人)が建てた国であり、日本に使節(渤海使)をおくり国交を結んでいた。日本には35回
日本から13回の使いをおくっていた。
(・`ω´・)
【遣隋使、遣唐使を派遣】
751年の遣唐使(大使:藤原清河、副使:大伴古麻呂)は、長安京での旧正月儀式の席順が新羅が一番、日本が四番の席になっていたことに抗議し、
「新羅はもともと、日本に貢ぎ物を持って来た家来のような国です」と抗議すると、新羅の大使が認めたことから席順が一番となった。
( ^(エ)^ )
6者協議再開「早期に」
日中韓外相、歴史研究提案も
http://www.asahi.com/politics/update/0507/008.html?t東亜日報電子版より 2004 7 5
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2004070522018
これは メッセージ 1 (retribution さん)への返信です.
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