近代化とは
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/08/20 03:18 投稿番号: [16101 / 203793]
日本政府の作った統監府は朝鮮政府の代りに朝鮮の政治を実質的に支配する機構である。そして日本が近代化の過程で必死になって作り上げた法制は全て朝鮮に適用された。しかし、強制されて行なう法制の近代化は強者に新な権益を創設させ、弱者から古来の権利を没収するにすぎない。私自身朝鮮史を論ずるに当り、始めのうちは近代的法制や機構等の持込みによる効果―すなわち日本が朝鮮の近代化に寄与した面―をさがす積りであったが、事例を集めれば集める程結論はその反対になって行くのである。こゝでは東洋拓殖株式会社の例。
朝鮮の農地の日本人による開拓で先づ問題になることは朝鮮に荒蕪地があったか否かということについての日本人の認識である(注11)、朝鮮には幾多の沃野と荒蕪地があるので、それを開拓すべきだとの論議は日本では明治34年頃からはじまっていた。この論議は京城周辺に一部の荒地があることから朝鮮全体に荒蕪地が沢山あるだろうという希望的観測が為され、それが一方では日本の膨張する人口の排けロとして、他方では京釜鉄道敷設の説明の為に、一般化したのである。当時の日本は毎年人口が40万〜50万増加しており、それに食料や衣服を与える為には開拓すべき土地が必要だった。ところで日本が侵出可能な北部清国では既に全ての土地が開拓され切っているので新に開拓する余地はない。そこで京城周辺にも二里四方位の荒地があるのだから朝鮮には多数の未開拓地がある筈という加藤末郎の「韓国出張復命書」(明治34年2月)が出され、その後京釜間鉄道の経費をすくなく算定する為にもこの希望的な説が採られて一般に流布したのであって、実際には朝鮮は開墾されつくしていたのである。
一方朝鮮人自体の農業経営においては経済的合理主義に欠ける面があった(注12)。商品市場が限定されていたために拡大生産をすることはなく、地主は小作人の作る品種の改良には口を出さず単にその一定比率の現物の小作料取得に汲々とした。したがって所有地の全てを耕すわけでもなく、耕作しやすい所だけが畑なり水田となったのである。だから後に東洋拓殖株式会社がこれらの土地を取上げて小作人に農事指導を開始すると作物の品質が向上し、かつ収率も上るのである。
統監府がおかれると日本政府は「臨時土地調査局」をおき1000万円の予算で全土の地籍を作らせた。地籍なるものは日本においては地租改正の際に作られ、地主に地租を納入させて租税による国家予算を打立てようとしたものである。だから土地の所有者が不明確な場合は、まず納税する者をさがして土地所有者とし、それがない時にはやむを得ず税収の得られない国有地とした。だからこの土地調査ということは日本では近代的なことだったのである。これが朝鮮に適用された時には性格を一変した。朝鮮人の制度に対する無理解とか地租を支払いたくないという心理に乗じて朝鮮人所有の土地を国有地とし、その国有地を日本人に下げる為の手段としたのである。加うるに朝鮮における土地所有の多層化が重なって、問題は極めて複雑化した。例えば上層の王室から直接土地を受取った者がそれを譲り渡しても、下層、最下層の農民は自分の土地であると主張する。東洋拓殖が憲兵隊を使って土地を強制的に収奪した金羅道羅州牧の旧宮三面事件はその例である。
http://hal2001.itakura.toyo.ac.jp/~t4tomita/pna/pna29.html
より
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朝鮮の農地の日本人による開拓で先づ問題になることは朝鮮に荒蕪地があったか否かということについての日本人の認識である(注11)、朝鮮には幾多の沃野と荒蕪地があるので、それを開拓すべきだとの論議は日本では明治34年頃からはじまっていた。この論議は京城周辺に一部の荒地があることから朝鮮全体に荒蕪地が沢山あるだろうという希望的観測が為され、それが一方では日本の膨張する人口の排けロとして、他方では京釜鉄道敷設の説明の為に、一般化したのである。当時の日本は毎年人口が40万〜50万増加しており、それに食料や衣服を与える為には開拓すべき土地が必要だった。ところで日本が侵出可能な北部清国では既に全ての土地が開拓され切っているので新に開拓する余地はない。そこで京城周辺にも二里四方位の荒地があるのだから朝鮮には多数の未開拓地がある筈という加藤末郎の「韓国出張復命書」(明治34年2月)が出され、その後京釜間鉄道の経費をすくなく算定する為にもこの希望的な説が採られて一般に流布したのであって、実際には朝鮮は開墾されつくしていたのである。
一方朝鮮人自体の農業経営においては経済的合理主義に欠ける面があった(注12)。商品市場が限定されていたために拡大生産をすることはなく、地主は小作人の作る品種の改良には口を出さず単にその一定比率の現物の小作料取得に汲々とした。したがって所有地の全てを耕すわけでもなく、耕作しやすい所だけが畑なり水田となったのである。だから後に東洋拓殖株式会社がこれらの土地を取上げて小作人に農事指導を開始すると作物の品質が向上し、かつ収率も上るのである。
統監府がおかれると日本政府は「臨時土地調査局」をおき1000万円の予算で全土の地籍を作らせた。地籍なるものは日本においては地租改正の際に作られ、地主に地租を納入させて租税による国家予算を打立てようとしたものである。だから土地の所有者が不明確な場合は、まず納税する者をさがして土地所有者とし、それがない時にはやむを得ず税収の得られない国有地とした。だからこの土地調査ということは日本では近代的なことだったのである。これが朝鮮に適用された時には性格を一変した。朝鮮人の制度に対する無理解とか地租を支払いたくないという心理に乗じて朝鮮人所有の土地を国有地とし、その国有地を日本人に下げる為の手段としたのである。加うるに朝鮮における土地所有の多層化が重なって、問題は極めて複雑化した。例えば上層の王室から直接土地を受取った者がそれを譲り渡しても、下層、最下層の農民は自分の土地であると主張する。東洋拓殖が憲兵隊を使って土地を強制的に収奪した金羅道羅州牧の旧宮三面事件はその例である。
http://hal2001.itakura.toyo.ac.jp/~t4tomita/pna/pna29.html
より
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これは メッセージ 1 (retribution さん)への返信です.
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