相関図など簡単ですよ
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/03/23 21:51 投稿番号: [157833 / 203793]
*亜細亜解放聖戦士神聖大和帝国軍軍団とそのエピゴーネン
*付和雷同軍とそのエピゴーネン
*関サバ軍団とそのエピゴーネン
この三つしかありません。HNはわたしもよくわからないところがあります。
前に一度出た数学セミナーは見ましたか。私は大事に取ってあります。(1996年3月号)
別の本で岡先生がいいことをいっています。ものの本質に迫ろうとおもえば、単純化するのがいいと。
「私は解析学におけるものの作り方を一応皆調べた。そんな作り方はなにもない。それで思った。今の数学の進歩の状態でこの問題を解けというのは、歩いて海を渡れというようなものではないか。
「そうすると私は実際にそれをやって見たくなった。それでちょうど台風の来襲が予報されていたから、台風下の鳴門の渦をのりきってやろうとおもった。
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「読む本もないままに年が変わってホタルの季節が来た。昼は毎日、土に木の枝で書いて、解析学の緒の作り方をもう一度きちきちしらべなおした。
「それで、フレッドホルム型積分方程式の2頁ほどを残して残りを切り捨てて見た。この切り捨てるという操作がこの際絶対に必要なのである。
「そうするとなんだか使えるかもしれない一つのものの作り方ができそうに思えたからそうしたのであるが、実際使って見たらうまくいった。難関は突破されたのである」(岡潔・第六論文・擬凸領域の難問を解決)
第七論文・これは終戦後に書かれたもの
「下宿の1室でねていると下宿のおかみさんにあわただしくおこされた。いって見るとラジオが真珠湾攻撃を放送していた。私は呆然自失していた。当時の私の心境をある無名女流作家がぴったりいいあらわしている。
窓の灯にうつりて淡く降る雪を
思ひとだえてわれは見ており
やがて一億同胞死な場もろともの声に励まされて、それもよかろうと思って、数学の研究の中にとじこもった。
「終戦になると、それまで死なばもろともと言ってた同胞がこともあろうに食料の奪い合いを始めた。私は生きていることも死ぬこともできなくなった。それで存在の地を仏道にもとめた。
「私は家に帰るとまた研究を始めて、毎日1時間お念仏しながら、心の中で描いておいた不定域イデアルの姿を詳細にみなおしていった。私の自分の心の中を見る目はおどろくほどよくみえるようになっていた。
「そのうち、一次方程式の形式解の局地的存在を言う問題の所に目がとまった。以前はこの一区画を本当にはみきわめてはいなかった。よく見ると、すぐにその存在が言えた・・・」
(第七論文・一次方程式の形式解の局地的存在を言う問題の解決・1947年)
これは メッセージ 157827 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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