阿Q羅氏、同僚のソウル素描に感動・嗚咽!
投稿者: kdm0709 投稿日時: 2004/03/12 21:34 投稿番号: [157058 / 203793]
3泊4日の日程で、ソウルに発ったのは、韓国経済がIMF管理下に置かれる寸前の頃だったと記憶しています。
ソフト事業の韓国への移植の話が出て、著作権者としても、グループメンバーとしても、顔を出さざるを得なくなったからです。
夕方金浦空港に着いて、そのまま、ホテルの送迎、お決まりの韓定食(韓国料亭)から、ノレバン。
翌朝、連れよりも早く目が醒め、ほとんど寝巻き姿で周辺に出ました。
朝靄がかかる街角に、小さな屋台がありました。見れば、通勤客相手のトースト屋台で、女が客たちに軽食を出していました。
私は香ばしいトーストの匂いに空腹を覚え、客が一段落して、散ったのを見計らって、屋台に近づきました。
「アンニョン!」。朝靄で、姿がよく見えなかったのですが、アジュンマと思っていた屋台の主人の返事は若いアガシの声でした。
おそらくは、私がその若い女性の声に驚いて、眼鏡をかけたその顔を覗き込んだのがいけなかったようで、
私の下手なハングルに「オヌナラエサラミエヨ」(どちらの国の方ですか。)と聞いてきました。
「イルボンサラム」と答えると全く無愛想になりました。
何か頼んでも、意地悪に聞き返す応答が続きました。苛立った私が、「ヨンオ ハシムニカ」と聞いてから、英語で、注文を繰り替えしました。
すると、英語で切り替えしてきました。暫く英語でのやり取りが続いてから、この奇妙な取り合わせの二人の会話が終わりました。
「学生ですか」にそうですと答えが返ってきました。同時に英語が上手ですねと言いあったり。
私は仕事で、ソウルに来て、そこのホテルに滞在している事を話し出しました。
その頃にはすっかり打ち解けて、楽しい朝食をとりました。
釣銭を用意する彼女にチップだよと言ってホテルに戻りました。
連れにもこの話をしたら、明日は必ず行ってみようと言う事になりました。
翌日、韓国のソフト会社の連中が迎えにきました、。朝飯は何が良いかの問いに、私はトースト屋台に連れて行く事にしました。
ビジネススタイルとトースト屋台は不釣り合いの光景だったかもしれません。
韓国のビジネスマン達は手馴れたもので、アガシから色々聞きながら、食べていました。
会社の社長をしている韓国人が纏めて払おうとした時、支払いで揉めているように思えましたが、
それは、この社長が法外に高く支払ったからでした。「奨学金ですよ・・・有名大学の学生なんですが、実家の会社が苦しいらしい。」そんな事情を聞きました。
訪問を終えて帰る朝に、今度は連れがトースト屋台に行きたいと言い出した。英語での会話と朝食の後で、今度は連れが払うと言い出しました。
「もう、十分に頂いています。」と言う彼女に、「この人はまだ払ってな
いんだから、受け取ってあげてよ。」と私。彼女の言った「カムサムニダ」を美しい言葉だと思いました。
コーヒーをポットから注ぐ時に眼鏡が曇り、彼女はそっと外しました。
まったく化粧もしていないその端正な顔立ちと整った目鼻立ちに理知的な口
元をみた時に、美人だと思いました。
韓国式の袖を抱える作法で、入れてもらったコーヒーはインスタントでも美味しい物でした。
出発の時間がきて、そこを離れました。
少し歩いた時、後ろから「チャルガセヨ」と美しい声が聞こえました。
振り向くと、彼女が大きく手を振っているではありませんか。私達も「アンニョンヒゲセヨ」と答えました。
思いなしか、彼女、泣いているようにも見えました。
朝鮮とは、朝が美しい国という意味なのです。私達は美しい朝の風景の中、空港
着き、それから、機中の人となりました。
連れは、いつまでも、あの女子学生の話をしていました。足長おじさん
ごっこと言えば、それまでの事なんですが、韓国の「情」とは、そんな所に
もあるのだと知りました。
厳しい社会体制の縦糸がピーンと張り詰めれば、張り詰める程、人の情の横糸がそれを受け止める社会なのです。
それは、私達日本にもあったのでしょうが、西欧化する中で、縦糸の緩みと共に人情の横糸も弱まったと感じています。
韓国を想う時に、いつも脳裏に浮かぶのが、あの靄の中の屋台なのです。
ソフト事業の韓国への移植の話が出て、著作権者としても、グループメンバーとしても、顔を出さざるを得なくなったからです。
夕方金浦空港に着いて、そのまま、ホテルの送迎、お決まりの韓定食(韓国料亭)から、ノレバン。
翌朝、連れよりも早く目が醒め、ほとんど寝巻き姿で周辺に出ました。
朝靄がかかる街角に、小さな屋台がありました。見れば、通勤客相手のトースト屋台で、女が客たちに軽食を出していました。
私は香ばしいトーストの匂いに空腹を覚え、客が一段落して、散ったのを見計らって、屋台に近づきました。
「アンニョン!」。朝靄で、姿がよく見えなかったのですが、アジュンマと思っていた屋台の主人の返事は若いアガシの声でした。
おそらくは、私がその若い女性の声に驚いて、眼鏡をかけたその顔を覗き込んだのがいけなかったようで、
私の下手なハングルに「オヌナラエサラミエヨ」(どちらの国の方ですか。)と聞いてきました。
「イルボンサラム」と答えると全く無愛想になりました。
何か頼んでも、意地悪に聞き返す応答が続きました。苛立った私が、「ヨンオ ハシムニカ」と聞いてから、英語で、注文を繰り替えしました。
すると、英語で切り替えしてきました。暫く英語でのやり取りが続いてから、この奇妙な取り合わせの二人の会話が終わりました。
「学生ですか」にそうですと答えが返ってきました。同時に英語が上手ですねと言いあったり。
私は仕事で、ソウルに来て、そこのホテルに滞在している事を話し出しました。
その頃にはすっかり打ち解けて、楽しい朝食をとりました。
釣銭を用意する彼女にチップだよと言ってホテルに戻りました。
連れにもこの話をしたら、明日は必ず行ってみようと言う事になりました。
翌日、韓国のソフト会社の連中が迎えにきました、。朝飯は何が良いかの問いに、私はトースト屋台に連れて行く事にしました。
ビジネススタイルとトースト屋台は不釣り合いの光景だったかもしれません。
韓国のビジネスマン達は手馴れたもので、アガシから色々聞きながら、食べていました。
会社の社長をしている韓国人が纏めて払おうとした時、支払いで揉めているように思えましたが、
それは、この社長が法外に高く支払ったからでした。「奨学金ですよ・・・有名大学の学生なんですが、実家の会社が苦しいらしい。」そんな事情を聞きました。
訪問を終えて帰る朝に、今度は連れがトースト屋台に行きたいと言い出した。英語での会話と朝食の後で、今度は連れが払うと言い出しました。
「もう、十分に頂いています。」と言う彼女に、「この人はまだ払ってな
いんだから、受け取ってあげてよ。」と私。彼女の言った「カムサムニダ」を美しい言葉だと思いました。
コーヒーをポットから注ぐ時に眼鏡が曇り、彼女はそっと外しました。
まったく化粧もしていないその端正な顔立ちと整った目鼻立ちに理知的な口
元をみた時に、美人だと思いました。
韓国式の袖を抱える作法で、入れてもらったコーヒーはインスタントでも美味しい物でした。
出発の時間がきて、そこを離れました。
少し歩いた時、後ろから「チャルガセヨ」と美しい声が聞こえました。
振り向くと、彼女が大きく手を振っているではありませんか。私達も「アンニョンヒゲセヨ」と答えました。
思いなしか、彼女、泣いているようにも見えました。
朝鮮とは、朝が美しい国という意味なのです。私達は美しい朝の風景の中、空港
着き、それから、機中の人となりました。
連れは、いつまでも、あの女子学生の話をしていました。足長おじさん
ごっこと言えば、それまでの事なんですが、韓国の「情」とは、そんな所に
もあるのだと知りました。
厳しい社会体制の縦糸がピーンと張り詰めれば、張り詰める程、人の情の横糸がそれを受け止める社会なのです。
それは、私達日本にもあったのでしょうが、西欧化する中で、縦糸の緩みと共に人情の横糸も弱まったと感じています。
韓国を想う時に、いつも脳裏に浮かぶのが、あの靄の中の屋台なのです。
これは メッセージ 157055 (acura95_87 さん)への返信です.