宗教仁と北一輝
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2004/02/09 18:58 投稿番号: [154392 / 203793]
「宗教仁という男をしらないか?」
「宋教仁は大正二年に上海で暗殺された。辛亥革命で北さんと一緒に弾丸の中を駆け回った仲だ。」
「すごい美男だったらしいぞ。日本に亡命して早稲田へ行っている時は学費をだしたいという女が行列していたらしい」
「俺はうらやましいよ。北さんは暗殺された宋教仁の遺体に取りすがって号泣したっていうじゃないか。あの、北さんがだぞ。いくら引き離そうとしても北さんは宋教仁の耳を掴んで離そうとしなかった」
「宋は同志だったはずの袁世凱が送った刺客に胸を刺されて、上海の停車場の石畳に死体となってころがっていた。
北は袁世凱だけでなく、その背後で糸を引く孫文までも激しく糾弾した」
「陛下」(久世光彦)
「支那、印度七億の民の覚醒はじつにこの時をもって始まる。戦なき平和は天国への道にあらず」
(支那革命外史)
北はやはり脱獄時に殺された革命の同志の赤ん坊を養子にしてそだてました(北大輝)。
大輝は終戦直後上海で病死しましたが、その死の直前尋ねていった日本人(2.26事件で禁錮刑を受けた元青年将校)に、「今後、日本はどうなりますか」と日本のことばかり言っていたそうです。
「大輝は純粋な支那人であるが、心は完全に日本人になりきっていた。私は不治のやまいにとりつかれ、異郷の空で呻吟する運命の子・大輝が哀れでならなかった」
昭和25年中華民国副総理張群が日本にやってきた。
「張さん、大輝は死にました。今日、私は大輝の魂とお骨をつれてきます。どうか、あなたの胸に抱いて中国に連れて帰ってください。」
「ニ・ニ六事件への挽歌」(大蔵貢)
これは メッセージ 154384 (kohshien21 さん)への返信です.
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