森田氏のナガランド探検記
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/12/20 22:32 投稿番号: [150470 / 203793]
なんどか引用したが。
「私は日本兵にかわいがられた。あなたは私の息子と同じだ。会えて大変うれしい」
日本語を話すインパールの人たち
「私は日本軍の作った学校に行っていたので
まだ日本語がはなせます」
長くても数ヶ月の学校だったはずである。一体どのような日本人がどのように教え、彼らはどうして今までおぼえているのだろうか。
どんなことがどれだけこの期間これらの村であったにしろ、もし彼らが日本に敵意を盛っていたり、日本軍と戦ったりしたらこれほどまでに友好的に日本語をおぼえてはいまい。
メータ氏はナガ高地でも戦闘を、アジアとヨーロッパの戦争と表現したが、現地の人たちはそう考えていたのかもしれない。
ナガランドの部族の口承歌
「ある日日本の兵隊がたくさんやってきた。
私たちは米やブタや野菜をあげた。
コヒマで大きな戦いがあったそうな
やがて日本の兵隊は戦う武器もなく、食べ物もなく、疲れて、傷ついて私たちの村にもどってきた。
私たちは再び食べ物を与えた。
傷つき、疲れ果てた日本の兵隊たちは食べることに夢中だった。なにもかたらず、わらうこともなく。
やがて彼らは東のジャングルに向って歩いていった。
私たちは食べ物を与えてジャングルまで見送った。
その後日本の兵隊たちはやってこない。
あの兵隊たちはどこにいったのだろう」
この歌を聴いた森田氏が、「ありがとう、日本人全員に代わってお礼をいいます」といったのは分かりすぎるほど分かるな。
これは メッセージ 150469 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
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