>李承ヨプ
投稿者: kagami_no_kuni_no_alice 投稿日時: 2003/12/03 19:04 投稿番号: [149412 / 203793]
いいたくないけど今のスイングのままではこんな感じで終わるんじゃないかな。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhv1646/4ban3.htm
読売四番列伝 第3回 呂 明賜
「読売四番列伝」の第3回は、今やすっかり台湾野球ですっかり並の選手となってしまった呂明賜。今も現役を続けているが、日本にいたときのインパクトが大きかったせいか、何か物足りなさを感じる。
読売には捕手として入団したが、当然外人捕手なんて冒険を読売がやるはずはなく、外野手としてスタートする。当時は一軍登録の外人は2人までであり、第3の外人であった呂は当然の如く2軍スタートであった。ところが、他人の不幸は自分の幸福、クロマティーがシーズン途中に骨折をしたことで、呂が一軍に昇格したのだ。そして、呂の読売時代の一番の名場面、6月14日のヤクルト戦、一軍初打席、投手は超荒れ球(ノーコン)が魅力のシーズン途中からきた外人投手ギブソン、一軍初打席で、いきなりレフト上段へ本塁打。しかもその打球がもの凄い弾丸ライナーだった!
呂はものすごい歯力であり、顎が異常に強く、縄文人並みであったという。そう言えば、体型もどこか原始人的だ。そして、当時100kg近かった体重、おかげで兵役を免除され、日本に来ることが出来たという。そしてついた名前がアジアの大砲!
その後も各球団から打ちまくったが、そこに立ちはだかったのが、当時、北別府、大野、川口が全盛だった投手王国広島だった。そこで呂はどっかの4番みたいに内角攻めですっかりバッティングを狂わされて、その後、すっかり伸び悩んだ。呂はフォロースルーが大きく、変化球全盛の日本のプロ野球に対応できるフォームではなかった。打てなくなるのも時間の問題だった。そしてついた名前がアジアの空砲!また、いかにも腰を悪くしそうなバットスイングであった。
シーズン後半にはクロマティーの怪我もかなり回復し、試合にも出れる状態であったが、そこはクロマティーが、
「私が一軍にあがったら頑張っている呂に迷惑がかかる」
という歴史的屁理屈を吐いて、すっかりサボタージュに成功!一軍で頑張っている呂を尻目に、バンドをやったり、「とんねるずのみなさまのおかげです」に出演して「クロマティー侍」を演じるなど、野球をせずに年棒をもらって、すっかりエンジョイライフを満喫していた。そして、翌年には打率378で首位打者を獲るなど、すっかりおいしいところだけをもっていった。
一方の呂は翌年から2軍暮らし。以後浮かばれることはなく、91年のオフに寂しく読売を退団し、台湾野球に戻った。台湾野球でも最初はそこそこ打ったが、その後は怪我もあり、並の選手に成り下がった。
4番としての成績は6打数1安打で全く参考にならないが、直球勝負の昔の野球だったら大成した可能性もあったかもしれないが、いかん変化球主体の日本の野球では長く通じるはずもなかった。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhv1646/4ban3.htm
読売四番列伝 第3回 呂 明賜
「読売四番列伝」の第3回は、今やすっかり台湾野球ですっかり並の選手となってしまった呂明賜。今も現役を続けているが、日本にいたときのインパクトが大きかったせいか、何か物足りなさを感じる。
読売には捕手として入団したが、当然外人捕手なんて冒険を読売がやるはずはなく、外野手としてスタートする。当時は一軍登録の外人は2人までであり、第3の外人であった呂は当然の如く2軍スタートであった。ところが、他人の不幸は自分の幸福、クロマティーがシーズン途中に骨折をしたことで、呂が一軍に昇格したのだ。そして、呂の読売時代の一番の名場面、6月14日のヤクルト戦、一軍初打席、投手は超荒れ球(ノーコン)が魅力のシーズン途中からきた外人投手ギブソン、一軍初打席で、いきなりレフト上段へ本塁打。しかもその打球がもの凄い弾丸ライナーだった!
呂はものすごい歯力であり、顎が異常に強く、縄文人並みであったという。そう言えば、体型もどこか原始人的だ。そして、当時100kg近かった体重、おかげで兵役を免除され、日本に来ることが出来たという。そしてついた名前がアジアの大砲!
その後も各球団から打ちまくったが、そこに立ちはだかったのが、当時、北別府、大野、川口が全盛だった投手王国広島だった。そこで呂はどっかの4番みたいに内角攻めですっかりバッティングを狂わされて、その後、すっかり伸び悩んだ。呂はフォロースルーが大きく、変化球全盛の日本のプロ野球に対応できるフォームではなかった。打てなくなるのも時間の問題だった。そしてついた名前がアジアの空砲!また、いかにも腰を悪くしそうなバットスイングであった。
シーズン後半にはクロマティーの怪我もかなり回復し、試合にも出れる状態であったが、そこはクロマティーが、
「私が一軍にあがったら頑張っている呂に迷惑がかかる」
という歴史的屁理屈を吐いて、すっかりサボタージュに成功!一軍で頑張っている呂を尻目に、バンドをやったり、「とんねるずのみなさまのおかげです」に出演して「クロマティー侍」を演じるなど、野球をせずに年棒をもらって、すっかりエンジョイライフを満喫していた。そして、翌年には打率378で首位打者を獲るなど、すっかりおいしいところだけをもっていった。
一方の呂は翌年から2軍暮らし。以後浮かばれることはなく、91年のオフに寂しく読売を退団し、台湾野球に戻った。台湾野球でも最初はそこそこ打ったが、その後は怪我もあり、並の選手に成り下がった。
4番としての成績は6打数1安打で全く参考にならないが、直球勝負の昔の野球だったら大成した可能性もあったかもしれないが、いかん変化球主体の日本の野球では長く通じるはずもなかった。
これは メッセージ 149406 (postgraduate_resource_centre さん)への返信です.