ステハン氏 ひとつだけ
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/07/24 02:54 投稿番号: [139895 / 203793]
もうだしたけど、この問題は「戦争総括主義者」には解決できない問題だね。
逆説的にいうと
2003/ 7/22 0:31
メッセージ: 139759 / 139894
投稿者: kuuboakagi00 (555歳/男性/太平洋)
あの戦争があったから、「戦前の抑圧体制」がなくなったゆえに、「無謀な戦争ではなかった」ともいえるよ。
ある体制が一応整うとそれを壊すには一定以上のエネルギーが必要。 戦前の体制が悪だったと仮定して、あの戦争は、体制側が自壊作用をおこしたものだ、国民の犠牲はおおきかったが、というのならわかる。が、サヨはこうはいわないよ。いうことはただ、「アの無謀な戦争に突入していった・・・」
まあ、アメリカはあの戦争を民主主義を守るための正義の戦争に勝った、と規定したままで、見直しがあるとも思えんけど。全世界的な見直しなら文句は言わん。
それと、もし日本が隠忍自重して日米戦をはじめていなかったら(「無謀な」戦争を始めていなかったら)、今の日本はどうだろうか。
明治憲法は残っていたか。
農地改革はおこなわれていたか(三島由紀夫は2.26事件がせいこうしていれば自らの手で農地改革が行われていただろう、というけど、私は疑問に思う)。
無理に想像をはたらかせれば、ちょうどフランク総統の支するスペインに似てなくもないかな、という気もする。それ程抑圧的ではないが、今ほどに無条件に自由を謳歌できるほどでもないだろうと。
これは kamisanga3 さんの 139755 に対する返信です
逆説的に再びいうと、今の自由で豊かな日本があるのは、あの戦争を行ったからだともいえる。その意見に反対するなら、もしあの戦争がなかっても、その後の日本は今と同じように豊かで自由な日本になりえたであろうという蓋然性を証明せねば。
無謀な戦争という言葉の中に戦争総括主義者の矛盾がでている。
無謀とは何か、負けるとわかっていたから無謀なのか、多大の犠牲がでると分かっていたから無謀なのか。
前者なら無謀でない戦争ならはじめてもいいことになるし。
だから、戦争総括主義者がいうべきことは、「あの戦争は、国民に多大の損害をもたらしたという意味では無謀だったが、体制の崩壊をもたらしたという意味では無謀ではなかった。体制側の自壊をもたらした戦争だった」ということだと思う。
まえにもどるけど、そうではないというのなら、今の日本の「5分後の世界」(別の世界・村上龍)が、今の日本の自由と豊かさを持った、戦前の日本とはがらりと変わったりっぱなものになっていたであろう、ということを証明する必要がある。
不磨の大典を持った体制が大自己変革し、憲法を改正し、フランコ総統の統治したスペインなどとはことなった、自由な体制へなりえた、農地が解放され、小作農のいなくなった社会となった、ということの蓋然性、可能性を証明する必要がある。これは歴史的ifではなくて、論理的に証明しようと思えば証明しうる問題だとおもう。その結果は、私は、私の言ったようないびつな社会になっていたであろうと想像するけど。
逆説的にいうと
2003/ 7/22 0:31
メッセージ: 139759 / 139894
投稿者: kuuboakagi00 (555歳/男性/太平洋)
あの戦争があったから、「戦前の抑圧体制」がなくなったゆえに、「無謀な戦争ではなかった」ともいえるよ。
ある体制が一応整うとそれを壊すには一定以上のエネルギーが必要。 戦前の体制が悪だったと仮定して、あの戦争は、体制側が自壊作用をおこしたものだ、国民の犠牲はおおきかったが、というのならわかる。が、サヨはこうはいわないよ。いうことはただ、「アの無謀な戦争に突入していった・・・」
まあ、アメリカはあの戦争を民主主義を守るための正義の戦争に勝った、と規定したままで、見直しがあるとも思えんけど。全世界的な見直しなら文句は言わん。
それと、もし日本が隠忍自重して日米戦をはじめていなかったら(「無謀な」戦争を始めていなかったら)、今の日本はどうだろうか。
明治憲法は残っていたか。
農地改革はおこなわれていたか(三島由紀夫は2.26事件がせいこうしていれば自らの手で農地改革が行われていただろう、というけど、私は疑問に思う)。
無理に想像をはたらかせれば、ちょうどフランク総統の支するスペインに似てなくもないかな、という気もする。それ程抑圧的ではないが、今ほどに無条件に自由を謳歌できるほどでもないだろうと。
これは kamisanga3 さんの 139755 に対する返信です
逆説的に再びいうと、今の自由で豊かな日本があるのは、あの戦争を行ったからだともいえる。その意見に反対するなら、もしあの戦争がなかっても、その後の日本は今と同じように豊かで自由な日本になりえたであろうという蓋然性を証明せねば。
無謀な戦争という言葉の中に戦争総括主義者の矛盾がでている。
無謀とは何か、負けるとわかっていたから無謀なのか、多大の犠牲がでると分かっていたから無謀なのか。
前者なら無謀でない戦争ならはじめてもいいことになるし。
だから、戦争総括主義者がいうべきことは、「あの戦争は、国民に多大の損害をもたらしたという意味では無謀だったが、体制の崩壊をもたらしたという意味では無謀ではなかった。体制側の自壊をもたらした戦争だった」ということだと思う。
まえにもどるけど、そうではないというのなら、今の日本の「5分後の世界」(別の世界・村上龍)が、今の日本の自由と豊かさを持った、戦前の日本とはがらりと変わったりっぱなものになっていたであろう、ということを証明する必要がある。
不磨の大典を持った体制が大自己変革し、憲法を改正し、フランコ総統の統治したスペインなどとはことなった、自由な体制へなりえた、農地が解放され、小作農のいなくなった社会となった、ということの蓋然性、可能性を証明する必要がある。これは歴史的ifではなくて、論理的に証明しようと思えば証明しうる問題だとおもう。その結果は、私は、私の言ったようないびつな社会になっていたであろうと想像するけど。
これは メッセージ 139894 (ms_kasugamaru さん)への返信です.