>時間は ないが 答えてやる。
投稿者: kamisanga3 投稿日時: 2003/07/20 18:13 投稿番号: [139581 / 203793]
日本国民と英国民の違い、は良く分からんが・・・
日英関係の歴史
日英関係の始まりは400年以上前に溯ります。下記に示すのは、両国関係の歴史における主な出来事です。
1600 ケント出身の船員、ウィル・アダムズが英国人として初めて日本に漂着する。徳川将軍に助言する役割を果たして住居と土地を与えられ、その生涯を日本で終える。
1832 愛知出身の水夫、オトキチ、キュウキチ、イワキチが船で太平洋横断を成功させる。米国に到着した後、商船で英国に渡り、後にマカオに到着。英国の土を踏んだ初めての日本人と思われるうちの一人、オトキチは、英国の市民権を取得し、ジョン・マシュー・オトソンという名前を名乗った。後に、英国海軍の通訳として二回、日本に帰国している。
1858 東インド会社をはじめとする企業が日本との貿易を拡大しようと試みてから200年後、エルギン伯爵が条約を締結する。いくつかの日本の港が開港されたのに加え、同条約により、江戸に英国の外交使節団が初めて設置される。
1859 常設される初めての英国代表として、貿易関係が急速に発展する中、サー・ラザフォード・オルコックが日本に着任。情報やアイディアの交換も迅速に進み、中でも、長州藩が藩士5人をロンドンのユニバシティー・カレッジに留学させるという決断をしたことは特筆すべき出来事である。長州藩の5人組は、近代日本の構築に重要な役割を果たす広範囲な知識を日本に持ちかえった。
1863 薩摩藩が一年前に英国人商人を殺害した報復として、英国艦隊が鹿児島を砲撃。この事件は、当時まだ壊れやすい状態にあった両国関係に影響を及ぼした。
1868 明治維新は、外国の発想に対する日本の関心が高まる先ぶれであった。日英貿易、そして日本における英国人社会は発展し続けた。
1869 エジンバラ公(ビクトリア女王の次男)が訪日。英国王室と日本の皇室との長きにわたる交流の第一歩となる。
1870 岩倉外務大臣が18ヶ月間、代表団を率いて英国に滞在。両国の二国間関係が益々強化された。
1902 日英同盟の調印により、日英の友好関係が確認され、両国関係がより緊密になる。
1910 大日英博覧会が開催され、日本と日本国民について数多くの英国人の知るところとなる。
1914 第一次世界大戦が勃発し、日英は味方同士として参戦。
1921 裕仁皇太子(後の昭和天皇)が英国を訪問。日本の皇太子として初めての海外訪問であった。
1941 1930年代に起きた政治的な出来事が原因で両国関係が冷え、1941年12月に英国が正式に日本に宣戦布告する。互いの領土に住む日英両国民は拘束された。強制送還された人々や、戦時中、監禁された人々もいる。アジアにおける英連邦の兵隊および市民の多くが捕虜となった。こうした人々の経験が、長年、関係に深い影を落とした。
1951 サンフランシスコ条約により、戦争の敵対関係に終止符が正式に打たれた。日英両国は関係の再構築に努力し始める。
1953 ブリティッシュ・カウンシルが、英国とその文化、教育制度や歴史を日本で広める目的で開設された。
1961 アレキサンドラ王女が訪日。1953年の女王陛下戴冠式には、当時の明仁皇太子が出席されており、英国王室と日本の皇室の絆が再び構築される。
1970 1964年の東京オリンピックにつづき、大坂万博が開催され、国際社会への日本の復帰が確固たるものとなり、長年にわたる日英関係の発展に向けた基盤が築かれる。
1971 YKKが日本企業として初めて英国に生産拠点を設置する。
1975 エリザベス二世女王陛下が公式に日本を訪問。
1988 三光合成が丸紅との合弁で英国に進出したことで、日本の対英投資企業数が100社となる。
1989 およそ50社の日本企業が一年間で英国に進出するという極めて良好な経済関係が実現。
1991 日本政府は英国で日本祭を開催し、数多くの英国人が日本文化に初めて触れる機会を得る。
1995 日英の外相が、協力強化に関する具体的な項目を提案する日英行動計画を支持。行動計画は現在まで、定期的な見直しがなされ更新されている。今後も引き続き両国関係の発展を支える。
1998 英国政府が“UK98”として知られる英国の祭典を日本で開催。ブレア英首相が訪日し祭典の開幕イベントに出席。同年、天皇が英国を公式訪問。
1999 1995年、名古屋に新しく英国領事館が開設されたのに続き、福岡に貿易促進事務所がオープン。
2001 英国で初めて日本の祭典が開催されてから10年後、日本政府は二回目の祭典、ジャパン・フェスティバルを一年にわたり開催。日本の皇太子殿下が訪英され、チャールズ皇太子と共に開幕式に出席される。
2002 日英
日英関係の歴史
日英関係の始まりは400年以上前に溯ります。下記に示すのは、両国関係の歴史における主な出来事です。
1600 ケント出身の船員、ウィル・アダムズが英国人として初めて日本に漂着する。徳川将軍に助言する役割を果たして住居と土地を与えられ、その生涯を日本で終える。
1832 愛知出身の水夫、オトキチ、キュウキチ、イワキチが船で太平洋横断を成功させる。米国に到着した後、商船で英国に渡り、後にマカオに到着。英国の土を踏んだ初めての日本人と思われるうちの一人、オトキチは、英国の市民権を取得し、ジョン・マシュー・オトソンという名前を名乗った。後に、英国海軍の通訳として二回、日本に帰国している。
1858 東インド会社をはじめとする企業が日本との貿易を拡大しようと試みてから200年後、エルギン伯爵が条約を締結する。いくつかの日本の港が開港されたのに加え、同条約により、江戸に英国の外交使節団が初めて設置される。
1859 常設される初めての英国代表として、貿易関係が急速に発展する中、サー・ラザフォード・オルコックが日本に着任。情報やアイディアの交換も迅速に進み、中でも、長州藩が藩士5人をロンドンのユニバシティー・カレッジに留学させるという決断をしたことは特筆すべき出来事である。長州藩の5人組は、近代日本の構築に重要な役割を果たす広範囲な知識を日本に持ちかえった。
1863 薩摩藩が一年前に英国人商人を殺害した報復として、英国艦隊が鹿児島を砲撃。この事件は、当時まだ壊れやすい状態にあった両国関係に影響を及ぼした。
1868 明治維新は、外国の発想に対する日本の関心が高まる先ぶれであった。日英貿易、そして日本における英国人社会は発展し続けた。
1869 エジンバラ公(ビクトリア女王の次男)が訪日。英国王室と日本の皇室との長きにわたる交流の第一歩となる。
1870 岩倉外務大臣が18ヶ月間、代表団を率いて英国に滞在。両国の二国間関係が益々強化された。
1902 日英同盟の調印により、日英の友好関係が確認され、両国関係がより緊密になる。
1910 大日英博覧会が開催され、日本と日本国民について数多くの英国人の知るところとなる。
1914 第一次世界大戦が勃発し、日英は味方同士として参戦。
1921 裕仁皇太子(後の昭和天皇)が英国を訪問。日本の皇太子として初めての海外訪問であった。
1941 1930年代に起きた政治的な出来事が原因で両国関係が冷え、1941年12月に英国が正式に日本に宣戦布告する。互いの領土に住む日英両国民は拘束された。強制送還された人々や、戦時中、監禁された人々もいる。アジアにおける英連邦の兵隊および市民の多くが捕虜となった。こうした人々の経験が、長年、関係に深い影を落とした。
1951 サンフランシスコ条約により、戦争の敵対関係に終止符が正式に打たれた。日英両国は関係の再構築に努力し始める。
1953 ブリティッシュ・カウンシルが、英国とその文化、教育制度や歴史を日本で広める目的で開設された。
1961 アレキサンドラ王女が訪日。1953年の女王陛下戴冠式には、当時の明仁皇太子が出席されており、英国王室と日本の皇室の絆が再び構築される。
1970 1964年の東京オリンピックにつづき、大坂万博が開催され、国際社会への日本の復帰が確固たるものとなり、長年にわたる日英関係の発展に向けた基盤が築かれる。
1971 YKKが日本企業として初めて英国に生産拠点を設置する。
1975 エリザベス二世女王陛下が公式に日本を訪問。
1988 三光合成が丸紅との合弁で英国に進出したことで、日本の対英投資企業数が100社となる。
1989 およそ50社の日本企業が一年間で英国に進出するという極めて良好な経済関係が実現。
1991 日本政府は英国で日本祭を開催し、数多くの英国人が日本文化に初めて触れる機会を得る。
1995 日英の外相が、協力強化に関する具体的な項目を提案する日英行動計画を支持。行動計画は現在まで、定期的な見直しがなされ更新されている。今後も引き続き両国関係の発展を支える。
1998 英国政府が“UK98”として知られる英国の祭典を日本で開催。ブレア英首相が訪日し祭典の開幕イベントに出席。同年、天皇が英国を公式訪問。
1999 1995年、名古屋に新しく英国領事館が開設されたのに続き、福岡に貿易促進事務所がオープン。
2001 英国で初めて日本の祭典が開催されてから10年後、日本政府は二回目の祭典、ジャパン・フェスティバルを一年にわたり開催。日本の皇太子殿下が訪英され、チャールズ皇太子と共に開幕式に出席される。
2002 日英
これは メッセージ 139575 (antan0329 さん)への返信です.