なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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南京攻撃の背景

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/08/07 02:30 投稿番号: [13691 / 203793]
>過去の歴史から明らかなように日本は南京を首都として
親日政権を中国につくろうとしたわけだろ
補給基地ととして
南京を利用するつもりだったんだろ

1937年8月の時点では軍中央は不拡大方針で,上海派遣軍は居留民を守る為に派遣した
8月15日海軍の考えによる南京渡洋爆撃の成功により、軍・政府・国民に南京占領が
容易であるように思わせ不拡大派の影響力を弱める働きをした。
上海派遣軍松井司令官は「国民政府存在する限り解決できず・・・・南京を目標として断固として敢行すべし」と
南京攻略は軍中央としては決め手ておらず、海軍の南京渡洋爆撃により国民に南京占領
という声を上げさせ、又松井司令官の考えにより、敢行されたのです。
拡大派により上海攻略戦が行われ苦戦するのですが,11月5日中国軍の背後に回り,11月13日中国軍は敗走します。
このとき陸軍省軍事課長田中新一大佐は述べています。
「軍規退廃の根元は、召集兵にある。高年次召集者にある。召集の憲兵下士官などに唾棄すべき知能犯的軍規破壊行為がある。
現地依存の給養上の処置が誤って軍規破壊の第一歩ともなる。すなわち地方民からの物資購買が徴発化し
、略奪化し、暴行に転化するがごときがそれである・・補給の停滞から第一線を飢餓欠乏におとしめることも
軍規破壊の元になる。・・・・軍事的無知、無規律、怠慢などおよそ国体行動の要素は皆無というべく、これを
こんまま放置しておいては全軍規律を動揺せしめることになる。問題は制度、機構より人事的刷新にある。」
つまりこの時点で上海派遣軍の軍規弛緩、不法行為、軍規破壊がみられるとしている。
11月15日第10軍は南京攻略を決定、参謀本部は多田次長反対であったが、下村第一部長が只今南京攻略を実行する
固き決意の下に着々審議中なりと認めるような電報を南京へ向け進撃中の第10軍、上海派遣軍に打つ
多田次長に前進停止を命じられる可能性があるため、武藤章中支那方面軍参謀副長は第10軍と上海派遣軍
どちらが南京に早くつくか競争させる(中支那方面軍は第10軍と上海派遣軍からなる)
上海の激闘が終わって帰還さすべきところ、又満足な補給もないまま今度は南京へ急行しなければならない。
兵隊は不平不満がくすぶり、その不満のはけ口として、あれだけの略奪、殺人、暴行を行ったのです。
又南京攻撃は軍中央がまだ許可を与えていないのに、松井方面軍司令官の考えから始めている
だからこの時点では親日政権を作る為ではないですし、首都を落とせば国民の希望に答えられるぐらい
おのれの名誉になるという,松井司令官を初めとする現地軍の幹部の功名心から始まっています。

>何で殺す必要があるの
  兵隊は理屈ではなく、目の前の状況や上官の命令で動きます。
  このばあいは不平不満のはけ口として、殺しまわったと思います。
  田中新一大佐の述べているような結果になったわけです。

>南京で一般市民に対する虐殺が
あったことはあったろうけれど、、
(首都陥落で虐殺なく終わった例を知りたい)

  虐殺の数字が桁はずれに大きいということではないでしょうか
  たとえ10万だったとしても

>一日で10万人も殺せるような組織だった動きのあと
すぐさま市民を招集できるほど中国で人気があったのなら
日本は戦争に勝ってたよ、戦闘しなくてね

  1937年3月   約100万
  1937年11月    50万
  1938年2月    20万
  1938年10月    30万
  1939年10月    55万
  1941年3月    60万

これから見ると1937年11月50万   ですから   回復するのは約   2年後ですね
(南京事件   岩波新書より)
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