>戦前、白蓮事件ってあったなー
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/06/22 23:24 投稿番号: [136230 / 203793]
柳原白蓮
やなぎはら
びゃくれん(1885-1966)
歌人
諦めていた恋の情熱にすべてを捨てて身を委ね再出発した歌人
彼女は伯爵柳原前光の妾の子として明治18年、東京に生まれました。本名はあきこ(火ヘンに華)。大正天皇の従姉妹にあたる血筋です。そして、当時の慣習にならい、14歳で家族の決めた北小路子爵家の息子資武(すけたけ)と結婚し、15歳で男児を出産しました。しかし、精神薄弱に近い資武との余りにひどい結婚生活に見かねた白蓮の家族は、5年後に離婚させますが、子供は夫の母に奪われてしまいます。
実家に戻ったものの、『出戻り』であるが故に幽閉に等しい生活を余儀なくされたあきこ。その生活が終わったのは27歳の時の再婚でした。相手は九州一の炭坑王の伊藤伝右衛門。けれど、それは貴族院議員に出馬するあきこの兄の金欲しさと名門の家柄を必要とした伊藤家、そして幽閉生活からの脱出を願うあきことの利害が一致した末の政略結婚でもありました。伊藤は『あかがね御殿』と呼ばれる豪華な大邸宅を作ってあきこを迎えるのですが、25歳年上の彼には女中を兼ねた妾や誰が産んだのかもわからない子供が何人もあったと言います。そんな生活の中でもあきこの転機は、佐々木信綱の門下生となったことで訪れます。
歌人として注目されるようになったあきこ。彼女の戯曲『指蔓外道(しまんげどう)』の上演依頼のために訪れた東京帝大法学部に通う傍ら雑誌『解放』の編集をする宮崎龍介。それが運命の出会いでした。けれど、まだ人妻の恋愛が姦通罪として制裁されていた時代。さらに、あきこは30代半ばで、宮崎は彼女よりも6歳年下であり、社会革命の理想に燃える帝大新人会のメンバー。これは実るはずのない恋でした。 それでも二人の恋は燃え上がり、あきこは宮崎の子を宿します。それは二人の気持ちを確認し、固めたきっかけとなります。
あきこは伊藤と上京した際に姿を消し、二日後、『私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます』という公開絶縁状を朝日新聞に掲載しました。これは帝大新人会の画策とも言われていますが、あきこ自身の確固たる意志と覚悟が明らかに示されているものでもありました。伊藤は毎日新聞にその反論を載せ、世論はこの問題に非常に沸いたと言います。
http://homepage1.nifty.com/Theater5148/seijukan/yanagihara_byakuren/byakureny.html
歴史的事実にあふれかえっているね。
柳原白蓮の父親は、柳原前光。華族家族だったけど、結構政治家(外交官)としても活躍した。
西南戦争の折には、島津親子に、軽挙妄動するなという、明治天皇の詔勅をつたえたのだったかな。このシーンはNTV新年歴史物ドラマ特集でもあったかな。
明治7年の台湾出兵のおりには、清国側との交渉役が、大久保利通(弁理大臣)と柳原前光(全権公使)。「大久保弁理大臣・柳原全権公使より三大臣および参議一同へ・総理衛門往復照会応接筆記等回付来柬」
白蓮の相手の宮崎は、宮崎滔天の息子。
赤金御殿は別府だったかな。流れ川通りにあったなあ。
諦めていた恋の情熱にすべてを捨てて身を委ね再出発した歌人
彼女は伯爵柳原前光の妾の子として明治18年、東京に生まれました。本名はあきこ(火ヘンに華)。大正天皇の従姉妹にあたる血筋です。そして、当時の慣習にならい、14歳で家族の決めた北小路子爵家の息子資武(すけたけ)と結婚し、15歳で男児を出産しました。しかし、精神薄弱に近い資武との余りにひどい結婚生活に見かねた白蓮の家族は、5年後に離婚させますが、子供は夫の母に奪われてしまいます。
実家に戻ったものの、『出戻り』であるが故に幽閉に等しい生活を余儀なくされたあきこ。その生活が終わったのは27歳の時の再婚でした。相手は九州一の炭坑王の伊藤伝右衛門。けれど、それは貴族院議員に出馬するあきこの兄の金欲しさと名門の家柄を必要とした伊藤家、そして幽閉生活からの脱出を願うあきことの利害が一致した末の政略結婚でもありました。伊藤は『あかがね御殿』と呼ばれる豪華な大邸宅を作ってあきこを迎えるのですが、25歳年上の彼には女中を兼ねた妾や誰が産んだのかもわからない子供が何人もあったと言います。そんな生活の中でもあきこの転機は、佐々木信綱の門下生となったことで訪れます。
歌人として注目されるようになったあきこ。彼女の戯曲『指蔓外道(しまんげどう)』の上演依頼のために訪れた東京帝大法学部に通う傍ら雑誌『解放』の編集をする宮崎龍介。それが運命の出会いでした。けれど、まだ人妻の恋愛が姦通罪として制裁されていた時代。さらに、あきこは30代半ばで、宮崎は彼女よりも6歳年下であり、社会革命の理想に燃える帝大新人会のメンバー。これは実るはずのない恋でした。 それでも二人の恋は燃え上がり、あきこは宮崎の子を宿します。それは二人の気持ちを確認し、固めたきっかけとなります。
あきこは伊藤と上京した際に姿を消し、二日後、『私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます』という公開絶縁状を朝日新聞に掲載しました。これは帝大新人会の画策とも言われていますが、あきこ自身の確固たる意志と覚悟が明らかに示されているものでもありました。伊藤は毎日新聞にその反論を載せ、世論はこの問題に非常に沸いたと言います。
http://homepage1.nifty.com/Theater5148/seijukan/yanagihara_byakuren/byakureny.html
歴史的事実にあふれかえっているね。
柳原白蓮の父親は、柳原前光。華族家族だったけど、結構政治家(外交官)としても活躍した。
西南戦争の折には、島津親子に、軽挙妄動するなという、明治天皇の詔勅をつたえたのだったかな。このシーンはNTV新年歴史物ドラマ特集でもあったかな。
明治7年の台湾出兵のおりには、清国側との交渉役が、大久保利通(弁理大臣)と柳原前光(全権公使)。「大久保弁理大臣・柳原全権公使より三大臣および参議一同へ・総理衛門往復照会応接筆記等回付来柬」
白蓮の相手の宮崎は、宮崎滔天の息子。
赤金御殿は別府だったかな。流れ川通りにあったなあ。
これは メッセージ 136225 (j_ururu さん)への返信です.