徳川慶喜について
投稿者: chonkanchigaiyarodomo 投稿日時: 2003/04/23 14:14 投稿番号: [128757 / 203793]
戊辰戦争の前夜、
薩長はイギリスからの支援を受け、幕府はフランスからの支援を受けた。
しかし両方とも英仏の兵力の直接派遣は断固として断った。
非勢にある幕府においても、慶喜公は「外国の介入を招くぐらいならば、幕府は滅んだ方がマシ。日本のことは日本人が決める。」とフランスの兵派遣を固辞した。
この点は己の権力保持と保身のため、清やロシアの兵力をやすやすと入れた李王朝とは対照的だ。
後年、明治天皇が慶喜と飲む機会があり、
陛下は皇后に対して
「慶喜の天下をわしが奪ったのじゃ。
皇后よ、慶喜に酒をついでやれ。」
と言って慶喜公はいたく恐縮した。
戊辰戦争はあったが、禅譲に近い政権交代で、国土の破壊を最小限にくい止めたのだ。
あまり知られないことだが、慶喜公は、明治維新後、日本における写真術のパイオニアだった。
フランスからレンズや乾板を取り寄せ、写真術を研究し、自ら実際に撮ってみて人々に見せて、写真術の普及に努力した。
なかなかの腕前だったそうだ。
政権を奪われた後、一生を写真術の普及に費やし、日本のカメラ産業振興に貢献した。
慶喜は後年、こんな歌を残している。
「楽しみは人の心にあるものを
月よ花よと何をか求めん」
政権を手放し、国内の混乱を最小限に抑えた名君、慶喜公のすがすがしく、写真を愛する趣味人としての謙虚な姿勢が表れている。
己の私利私欲のために外国の軍隊を招き入れ、朝鮮を大混乱に陥れた、愚昧な李朝王族との違いは、比較すること自体、無理なのかもしれない。
これは メッセージ 128750 (information_delivery さん)への返信です.
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