「朝鮮旅行記」 G.D.チャガイ編
投稿者: BlackBeans 投稿日時: 2003/03/11 15:56 投稿番号: [123736 / 203793]
3番目とは、これのことですね。
これはただ殺害の現場の状況について書いているだけで、「国母」の人間性については何も書かれていません。
背景を踏まえずに日本人がやった日本人がやったと騒ぎ立てるだけではね。
(以下引用)
1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、間違いなく大院君がかなりの役割を演じていた。(中略)
日本軍の一部隊は北西門に配備され、北東門に集結したのは、日本人によって教育された朝鮮兵約300人である。(中略)
宮中では、日本軍と朝鮮軍の兵士によって王宮が包囲されたことが明らかとなるや否や、国王は前の農商務相李範晋に米国とロシアの公使館へ駆け込み、救援を求めるよう命令した。(中略)
彼らの何人かは、抜き身の刀を手にしていた。この群団の指揮者もやはり、長い刀を帯びる日本人だった。
彼らは中庭を走り回って、王妃の所在を聞き出せると判断される人々を捕まえては打擲するも、誰一人として彼らの求める情報を与えた者はいなかった。王妃が女官の間に身を隠しているに違いないと考えた日本人たちは、か弱い宮廷婦人を手当たり次第に殺しだした。日本人らは婦人たちに襲いかかり、王妃の引渡しを要求するのだった。王妃と全ての女官たちは口裏を合わせて、王妃はここにいないと答えていた。しかし、哀れなる王妃の神経がもはや耐え切れなくなって、彼女が廊下へ逃げ出すと、一人の日本人が脱兎のごとくその後を追い、王妃を捕まえ刺し殺した。しばらく経って、日本人らは殺害した王妃を近くの林に運び出し、灯油を振り撒いた上に火を放って焼却した。1895年11月26日の流血劇は、こうして幕を閉じた。
(引用終わり)
これは メッセージ 123720 (juwan416jp さん)への返信です.
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