「わかりやすい朝鮮社会の歴史」 朴垠鳳
投稿者: BlackBeans 投稿日時: 2003/03/11 15:10 投稿番号: [123717 / 203793]
(以下引用)
結果はどうあれ、門戸開放した朝鮮の当時の当面の課題は自主的な近代化を成し遂げることであった。西洋の先進文物を取り入れ、富国強兵と産業振興を目指すと同時に、古くなった封建制度を捨て去って新たな秩序を打ち立てなければならなかった。明成皇后と閔氏政権は、この内どれ一つとして満足にできなかった。その結果、どの勢力からも支持を得られなかった。開化反対を叫び壬午軍乱に参加した群衆は、明成皇后を攻撃の的にし、甲申政変を起こした開化派も東学農民軍もすべて明成皇后と閔氏一族の打倒を叫んだ。誰からも支持を取り付けられなかった明成皇后は、外国勢力に頼った。壬午軍乱と甲申政変を武力で鎮圧し、明成皇后が再び執権できるようにしたのは清であった。東学農民革命が起こるや清に援軍を申し入れて日本軍上陸の口実を提供し、その結果、わが地を日清戦争の戦場とした張本人は、まさに明成皇后であった。
『わが国の全羅道管轄下にある泰仁・古阜などの村に住む民は粗暴で狡猾な性格をしており、普段から統治するのが難しいといわれてきました。最近になって東学教匪が不逞の輩どもを一万名余りも集めて十以上の村を攻略し…
壬午軍乱、甲申政変と、わが国に二度起きた内乱は皆、天朝兵士の力を得て平定いたしました…
』。
閔泳駿が、ソウルに滞在していた清の総理朝鮮通商交渉事宜、袁世凱のもとを訪ねて援軍を要請した際に手渡した手紙である。日清戦争がわが国で行われたのは東学農民革命のせいではなく、明成皇后率いる閔氏政権の腐敗と無能、外国勢力依存のためであったのである。
(引用終わり)
当時、民衆から慕われていた様子はうかがえませんね。
「国母」というのは単なる役職か地位の名前なのでしょうか?
これは メッセージ 1 (retribution さん)への返信です.
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