>>石橋湛山
投稿者: kkohshien2 投稿日時: 2003/03/09 22:40 投稿番号: [123286 / 203793]
当時は徳川末期から続いたロシアの南進政策の恐怖が薄らぎ日露戦争当時のような圧倒的に不利な軍備ではなかった。特に海軍に於いては日本本土を直接攻撃されても撃破出来る海軍力を有していた。海軍生みの親と言われる山本権兵衛も朝鮮半島を手放してもロシアを抑止できると言ったとか。
満州は日露戦争後、米国が満州鉄道開発事業を申し入れて来たが、これを断った経緯がある。米国を再度共同事業に組み込むアイデアも石橋湛山の意識にあったのではないかと推測します。つまり対露防衛的見地からも有効な手段となりうる。米国は支那大陸進出で遅れを取ったことは事実で、もし満州の経済運営の一部でも共同で行なえば、日本への敵対行動は取らなかったのではと推測します。
又、満州は正に5族協和の地、日本が米国との戦争に引きずりこまれなければ、或いは立派な共和国が成立していたかも知れません。
台湾は統治後半は日本よりの資金援助はそれほど必要でなかった様です。台湾は支那固有の領土では無く、支那人は南西部の極わずかな地域(現西南市)に住んでいたのみ。17世紀?であったかポルトガル船長の航海日誌には日本人が住んでいた為日本領とある由、又明国の記録では日本領ともあり、明治時代、嵐で台湾に漂着した日本漁船員20余名が殺戮されたときに、日本政府の清国政府への抗議に対し、化外の地と日本に回答しています。日本はそれに基き独自で当該事件を処理した経緯もあります。日清戦争後、それまで無主地であった台湾を明確に日本領としたことで、植民地と言えないのではと個人的には思っています。
しいて言えば先住民高砂族の島。
防衛問題においては、独立後は何れの地にも独自の軍が無いゆえ、日本軍が進駐することで解決するのでは。
以上私の後知恵的推測ですが(笑)、石橋湛山のような傑物は大いなる構想をもっていたのではと思います。私も貴方のご指摘を機に関係書物を読んで見ます。
これは メッセージ 123137 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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