なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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ロシアの南下政策

投稿者: kkohshien2 投稿日時: 2003/03/06 22:19 投稿番号: [122283 / 203793]
>戦争はロシアが仕掛けた訳で無く、貴方達の日本が先に挑発したものでしょう。

オマエのバカさ加減は当時の身勝手な朝鮮王族や両班どもと同じレベルの無知、蒙昧さ加減だな。国力で10分の1以下の日本が何で戦争を仕掛ける。当時日本の常備軍は陸海軍あわせ、たったの20万人。常識で考えろ。

ロシアが日本にちょっかいを出してきたのは江戸時代に遡る。
1679年 松前藩の穴陣屋が大泊に設けられ、以来約130年間日本の漁場として開拓。
1809年 間宮林蔵、単身樺太に渡り、海を越えて大陸に至り、間宮海峡を発見。
1853年 ロシアは、北樺太北端に露国旗を掲げ領有宣言、大泊に陣営を設け日本に圧力。
1859年 ロシアが軍艦で品川に来航。樺太全土はロシア領と威嚇したが、幕府は拒否。
1865年 岡本監輔は、樺太最北端ガオト岬に至り、「大日本領」と記した標柱を建てる。
1867年 ロシアは強大な軍備を背景に幕府に迫り、樺太は日露両国民雑居の地となる。
1875年 日本は泣く泣く樺太・千島交換条約締結した。樺太全島はロシア流刑地となる。

上記を見ても解るとおり、日本はロシアに圧迫され続けて来た。        
そして日清戦争勝利で日本は遼東半島を得たがロシアは自国利益確保に不都合としドイツ、フランスと共に日本に返還を
要求してきた。これが1895年の三国干渉という歴史の事実。日本にはこれに対抗する力なく、この要求を呑んだ。ところが、ロシアは遼東半島の使用権を清国から得た。日本が血を流して得た権益を手に入れたわけだ。これで列強の中国分割支配が進んだ。
1900年ロシアは北清事変を機に満州に15万人の兵を送り事件後も撤兵せず奉天に6万の兵を常駐させ、旅順に要塞を築き
満州の実行支配と朝鮮半島支配を目論んだ。他の方々が書いている通りロシアの南下政策は日本に取り大いなる恐怖であった。数次に亘る交渉も決裂し日本の国家利益の為1904年2月国交を断絶
日露戦争に突入した。         

日本の兵力は20万人、片や百数十万の兵力を誇る世界一の陸軍と最新鋭の戦艦を持つバルチック艦隊を有するロシアに対し、「座して死を待つ腰抜け国家に成り下がることを潔しとせず」ロシアとの戦争に突入した。             

朝鮮半島には地下資源や当時の先端技術芸術を持つ人的資源も皆無であった。その土地を侵略する目的で強大なロシアと戦う愚を冒す理由は無い。目的はロシアの南下を阻止する事であった。       
もし当時の朝鮮が世界の潮流に目を開き、李氏王朝内で利権争いに終始せず
独立国として存在していたならば、日清、日露の戦争も起こらなかったであろう。それが夜郎自大のクソにもならん小中華思想にまみれた朝鮮人には全く理解できていなかった。

以上のことは他の方々も書いている。真面目に読み直し、信じられ無ければ日本語のyahoo、lycos、exciteなどで十分検索できる。中には日本の左翼により歪曲された歴史観もあるが、色々読めば矛盾が解る。

少しは勉強して出直せ。
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