今も日本語を話す秘境印度・ナガ高地の
投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2003/01/24 00:21 投稿番号: [113803 / 203793]
人々。
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ベックからチザミ村にもどった。
「私は日本軍が作った日本語学校にいっていたので、今でも日本語を覚えています。
「コメありますか。ニワトリありますか。おはよう。ありがとう」
なかには、「さくら、さくら、やよい、やよい・・・」と歌いだす人もいた。私は嬉しさと驚きがごっちゃ混ぜになって笑い出していた。長くてもわずか数ヶ月の日本語学校だったはずである。いったい、どのような日本人がどのようにおしえたのだろう。
昨夜とまったベック村でもそうだった。54歳の男が1から20まで数えることができた。
どんなっことがどれだけの期間この村であったにしろ、彼らがもし日本に敵意をもっていたり、日本人に虐待されていたのなら、こうも友好的に日本語を覚えていることはあるまい。
メータ氏はナガ高地の戦争をアジアとヨーロッパの戦争と読んだが、現地の人たちはそう思っていたのかもしれない。
「モリタサン、この村の女たちが昔歌った歌をうたうそうです。これは日本の兵隊のことを歌った歌です」
「ある日村の男に似た日本の兵隊がたくさんやってきた。次から次にやってきた。
みんな腹をすかせていた。
私たちはコメや、ブタや野菜をあげた。
十分に食べた日本の兵隊は手を振って笑いながらコヒマに向かっていった。
「コヒマで大きな戦いがあったそうな。
やがて、日本の兵隊は戦う武器もなく、疲れ、きづついて私たちの村に帰ってきた。
私たちはまた食物を与えた。
傷つき、疲れ果てた日本の兵隊は何も語らず、笑うこともなく、ただ食べることに夢中だった。
日本の兵隊は東のジャングルに向かってあるいていった。
私たちは食物を与え、ジャングルまで見送った。
その後日本の兵隊はこない。
日本の兵隊はどこに行ったのだろう」
わたしはニベロさんの通訳を聞いているうちに胸があつくなってきた。
35年前彼女等が娘心に焼きついた印象を密かに思い出の世界に記録してくれている。私はかのじょたちの歌を聴いて、初めて村人たちが日本人のことを気遣っていてくれたことを知った。
アンガミ族の村で、
「私は、牛二頭、ブタ五頭、ニワトリ10羽を売った。日本人は食物が無くて困っていたので安く売った」
「ありがとう。ご親切ありがとう。日本人みなに代わって御礼を言います」
「秘境・ナガ高地探検記・森田勇造」
これは メッセージ 113800 (kkohshien2 さん)への返信です.
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