なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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映画「運命の瞬間」にも

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2003/01/23 17:40 投稿番号: [113727 / 203793]
無かったか、このシーンは。

日本の敗戦後も、起死回生の望みをかけたチャンドラ・ボースは、寺内寿一南方総軍司令官の計らいで、ソ連に亡命する途中、不運な飛行機事故に遭い、とうとう伝説の人となってしまいました。享年48歳、最後まで、インドの独立に命を懸けた生涯でした。

その後、ボースのもとで共に独立をめざして戦ってきたインド国民軍(INA)兵士たちには、過酷な運命が待っていました。勝者イギリスが、ボースの指導したインド国民軍の将兵1万9500名を、イギリス国王に対する忠誠に背き、敵に通謀し、利敵行為をおこなったという「反逆罪」で軍事裁判にかけることになったのです。イギリスはこの「反乱」を、セポイの反乱(1857)以来の大不祥事と考え、これを厳罰に処し、見せしめにすることによって、これから先のインド統治を揺るぎないものにしようとしたのでした。イギリスは決して、植民地支配をやめようとは思っていなかったのです。しかし、この愛国者であるインド国民軍を「反乱軍」だとして裁くという措置に、インド全土では2年間に及ぶ大規模な反乱がつづきます。イギリスも軍隊を派遣し、徹底的な弾圧につとめるなど、流血の惨事があちこちで起こりました。さらに、イギリス軍によって、拘留されていた国民軍兵士たちの監獄からは、ボースの決めた国民軍の合言葉「チェロ・デリー!チェロ・デリー!」の声が、毎日響き渡りました。インド民衆も、「愛国の英雄を救え!」「INA全員を即時釈放せよ!」と叫びながら、警戒厳重な監獄にデモ行進をし、監獄の内と外で、「チェロ・デリー!」の大合唱が起きました。ついに1947年5月、イギリスは軍事裁判の中止をやむなく決定、8月にはインドの独立を認めざるを得なくなりました。

こうして、インドが200年もの長きにわたるイギリスの植民地支配を脱したのは、この日を夢見たチャンドラ・ボースの死後、2年目の夏のことでした。

その後も、インドは、敗戦にうちひしがれた日本に対して、厚い友情を示してくれました。

敗戦国を裁く極東軍事裁判では、連合国側が日本を弾劾しつづけるなか、ただ一人、インド代表のパール判事だけが日本の無罪を訴えたことはあまりにも有名です。

また、インドはサンフランシスコ講和会議への参加を拒否しました。それは、勝者=連合国側の、日本に対する懲罰的な条約に反対してのことであり、日本に対する賠償も放棄しています。それどころか、インド独立運動家で、戦後、国会議員になったマハンドラ・プラタップ氏は「日本に対してこそ賠償を払うべきだ」という「逆賠償論」を主張しました。

いかがでしょうか?こうしたアジアの声をもっと聞いてみたいとは思いませんか?先入観を拭い去り、歴史の事実を掘り起こせば、彼らの声はもっと聞こえてくるでしょう。

わたしたちの祖先が、命を懸けて築いてくれた友好と信頼という財産を、大切に受け継ぐためには、こうした政治的に作られたのではない、歴史認識を持つことが必要なのです。
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