オーストラリアなんぞは
投稿者: kuuboakagi123 投稿日時: 2003/01/08 06:39 投稿番号: [110667 / 203793]
日本が行けば一撃。
トラウマは今でも残っている。
「日本は水爆を作って、あっという間にせめてくるだろう」などというオーストラリア人もいるし。
以下コピペ
爆撃の正確さ
日本軍の爆撃、特に急降下爆撃は、非常に正確だった。高高度爆撃は急降下爆撃ほどではなかったが、そこそこに正確であり、大きな損害をもたらした。
しかし、空軍関係者によれば、この正確さは日本軍の質の高さより、むしろオーストラリア軍の防御・反撃体制の欠如によるところが大きかったと述べている。
(以下省略)
この報告は、第1回目の空襲の混乱で現地オーストラリア軍機能が麻痺し、空襲の状況と正確な損害状況が把握できなかったため、政府の指示により行なわれた調査の結果を伝えるものである。
市民だけでなく、軍人までもが南の方へ避難・疎開をしてしまい、1ヶ月余り経った後でも空襲の実態が正確に掴めていない。その混乱ぶりをうかがい知ることができる。
ダーウィンには、この空襲以降、1943年11月12日まで計64回の空襲が日本軍によって行なわれた。
第2回以降は、警報体制、防空体制も整備され市民の疎開が本格化したこともあって、大きな人的被害は出ていないが、英国人が入植後百数十年を経て、オーストラリア本土を攻撃した国はただ一カ国、日本だけだったわけで、その後の日豪関係に大きな汚点を残すこととなった。
ダーウィン爆撃のほかにも、心に留めておきたいいくつかの出来事がある。
ブルーム Broome
1942年2月29日、日本軍の爆撃により、数機の戦闘機と8機の飛行艇が破壊され、ジャワ島から避難する民間人約70名が死亡。
シドニー Sydney
1942年5月31日、3隻の特殊潜航艇がシドニー・ハーバーに侵入し、軍に徴用されていたフェリーを魚雷で攻撃。21人が死亡。
ニューキャッスル Newcastle
1942年6月8日、日本軍潜水艦が20分間にわたり市内を砲撃。市内の建物や住宅に被害発生。オーストラリアは、 Fort Scratchley 砲台から反撃した。
タウンズビル Townsville
1942年6月25〜28日、ラバウルを基地とする日本軍飛行艇が、オーストラリア空軍基地を爆撃。
これは メッセージ 110666 (yakuruto1 さん)への返信です.
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