うーん、そう言えば
投稿者: kamisanga3 投稿日時: 2002/12/30 19:34 投稿番号: [108651 / 203793]
総連だかなんかのHPに、「朝鮮戦争は、攻め込む隙を作った南鮮が悪い」とかい言う論調が有りましたが、歴史は繰り返されるのでしょうか。
(基本的な見方)
終戦により、北半分はソ連が、南半分はアメリカが占領しました。両国はそれぞれ政府を作り、何とか統一政府を作ろうと話し合いが行われましたが、1948年遂に決裂して、それぞれ国の成立宣言を行いました。その後も統一に向け、色々な動きがありましたが、1950年6月突如として北朝鮮軍が南朝鮮に攻め込みました。これはアメリカがもう戦時ではないとして、駐留軍の撤退の動きを見せたことが原因です。軍隊がなければ戦争にならないと考えるのは間違いです。今なら南朝鮮を制圧できると金日成が考えたことが、朝鮮戦争の原因となったのです。最も南朝鮮が直ちに降伏すれば戦争にならなかったでしょう。その代わり今日の豊かな韓国はなく、現在の北朝鮮のように自由は抑圧され、食糧不足で毎年餓死者が大勢でる悲惨な状況になったでしょう。一時的な戦争による苦しみとどちらが良かったでしょうか。
*****
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/jugyou/ryoudo-soushitu.html
(しかし、そこには)
韓国は、米軍の撤退が国家の安全を脅かすものとして、駐留を要請するが、アメリカは国連の決議に従い、1949年6月29日、約500名の軍事顧問団をのこして撤兵を終了させた。
ソ連は国連決議に先立ち撤兵を開始し、1948年12月30日撤兵を完了したとモスクワ放送は報じている。
北朝鮮ではソ連の援助を得て経済の再建を図ると共に軍事力の整備に努めており、開戦前の総兵力は十個師団13万5千人、戦車150両、火砲1600門、飛行機196機を保有していた。
これに比べ、韓国は、植民地時代に工業力が北に偏っていたことから、経済の再建は遅れ、不安定な社会情勢にあった。また、兵力については、8個師団10万人、火砲91門、装甲車27両、練習機10機と劣勢で、火器の15%、車両の35%が老朽化し、弾薬及び燃料の備蓄は戦時所要量の1〜2日分しか無い状態であった。
http://www5.ocn.ne.jp/~onohome/Korea_war_2.htm
(そして、それぞれの思惑)
仮に民族自決と一民族一国家という国民国家の原則を正当な考えとするのであるならば、祖国統一のための戦争は、実のところ南から始められようと、北から開始されようと、その是非を第三者のものがとやかく言うべき性格の問題ではないにもかかわらず、である。
この視角により解かり易い説明とは、李承晩にとって分断とは何だったのかを考えてみることである。この米軍による事実上の傀儡政権は、解放当初より余り民衆的基盤を持たなかった。それどころか、旧植民地支配において対日協力をした朝鮮人の治安官僚を大量に引き継ぐことにより、光復節当初の「日帝残滓一掃」という民族的スローガンを見事に裏切った。
これに対し金日成にとって戦争は明らかに失われた祖国の南半分を解放・回復するために始められた。それは予想外の迅速なアメリカの参戦決定により痛撃され、結局は、南朝鮮の民衆の間での北朝鮮軍への支持が失墜したことで、その敗退が決定的なものとなったのである。祖国統一戦争の勃発が、南朝鮮の革命の勃発を誘発するという当初の目論みは失敗に終り、中国軍参戦により辛うじて三八度線以北を維持するに止まったのである。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~takane/nk/openwar-rpsblt.htm
(基本的な見方)
終戦により、北半分はソ連が、南半分はアメリカが占領しました。両国はそれぞれ政府を作り、何とか統一政府を作ろうと話し合いが行われましたが、1948年遂に決裂して、それぞれ国の成立宣言を行いました。その後も統一に向け、色々な動きがありましたが、1950年6月突如として北朝鮮軍が南朝鮮に攻め込みました。これはアメリカがもう戦時ではないとして、駐留軍の撤退の動きを見せたことが原因です。軍隊がなければ戦争にならないと考えるのは間違いです。今なら南朝鮮を制圧できると金日成が考えたことが、朝鮮戦争の原因となったのです。最も南朝鮮が直ちに降伏すれば戦争にならなかったでしょう。その代わり今日の豊かな韓国はなく、現在の北朝鮮のように自由は抑圧され、食糧不足で毎年餓死者が大勢でる悲惨な状況になったでしょう。一時的な戦争による苦しみとどちらが良かったでしょうか。
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http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/jugyou/ryoudo-soushitu.html
(しかし、そこには)
韓国は、米軍の撤退が国家の安全を脅かすものとして、駐留を要請するが、アメリカは国連の決議に従い、1949年6月29日、約500名の軍事顧問団をのこして撤兵を終了させた。
ソ連は国連決議に先立ち撤兵を開始し、1948年12月30日撤兵を完了したとモスクワ放送は報じている。
北朝鮮ではソ連の援助を得て経済の再建を図ると共に軍事力の整備に努めており、開戦前の総兵力は十個師団13万5千人、戦車150両、火砲1600門、飛行機196機を保有していた。
これに比べ、韓国は、植民地時代に工業力が北に偏っていたことから、経済の再建は遅れ、不安定な社会情勢にあった。また、兵力については、8個師団10万人、火砲91門、装甲車27両、練習機10機と劣勢で、火器の15%、車両の35%が老朽化し、弾薬及び燃料の備蓄は戦時所要量の1〜2日分しか無い状態であった。
http://www5.ocn.ne.jp/~onohome/Korea_war_2.htm
(そして、それぞれの思惑)
仮に民族自決と一民族一国家という国民国家の原則を正当な考えとするのであるならば、祖国統一のための戦争は、実のところ南から始められようと、北から開始されようと、その是非を第三者のものがとやかく言うべき性格の問題ではないにもかかわらず、である。
この視角により解かり易い説明とは、李承晩にとって分断とは何だったのかを考えてみることである。この米軍による事実上の傀儡政権は、解放当初より余り民衆的基盤を持たなかった。それどころか、旧植民地支配において対日協力をした朝鮮人の治安官僚を大量に引き継ぐことにより、光復節当初の「日帝残滓一掃」という民族的スローガンを見事に裏切った。
これに対し金日成にとって戦争は明らかに失われた祖国の南半分を解放・回復するために始められた。それは予想外の迅速なアメリカの参戦決定により痛撃され、結局は、南朝鮮の民衆の間での北朝鮮軍への支持が失墜したことで、その敗退が決定的なものとなったのである。祖国統一戦争の勃発が、南朝鮮の革命の勃発を誘発するという当初の目論みは失敗に終り、中国軍参戦により辛うじて三八度線以北を維持するに止まったのである。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~takane/nk/openwar-rpsblt.htm
これは メッセージ 108555 (michi_no_hikari さん)への返信です.