Re: 朝鮮戦争はアコーディオン戦争と呼ぶニ
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/22 21:29 投稿番号: [623 / 7922]
朝鮮戦争については、ちょうど『斜め上の雲』で書いていたので。
1950.6.25
0400:北朝鮮軍攻撃開始。攻撃開始命令の暗号は「暴風(ボップン)」
6,27
0300:李承晩大統領ソウル脱出。
6.28:ソウル陥落。韓国軍撤退のさい、漢江橋の爆破によって避難民に多数の死傷者が出る。
7.7:国連安保理、国連軍派遣を決議。韓国軍は国連軍指揮下に入る。
7.16:韓国政府、大邱に移転。
8.3:国連軍の防御ラインを洛東江に設定。
8.18:韓国政府、釜山へ移転。
9.15:国連軍、仁川上陸。
9.28:ソウル奪回。
10.1:国連軍司令部、38度線突破命令。
10.19:平壌陥落。(このころ、中国義勇軍の参戦が決定、中朝国境地帯に兵力が輸送されつつあった)
10.25:各戦線で中国軍との交戦がはじまる。
1951.1.4:国連軍ソウル撤退。
3.14:国連軍、ソウル再奪回。
4.11:国連軍最高司令官マッカーサー元帥罷免。後任はリッジウェー中将。
6.23:ソ連国連代表マリク、休戦交渉を提案。李承晩は拒絶。
6.30:リッジウェー、マリク提案を受諾。
7.10:開城で休戦会談始まる。
1953.7.27:板門店で休戦協定調印。
最初の一年間で、ソウル陥落→ソウル奪回→平壌攻略→平壌陥落→ソウル陥落→ソウル再奪回という「アコーディオン」状態をほぼ終了。
あとの2年間は、38度線付近で、やる気のある韓朝両軍と嫌気のさした米中軍が攻防を続けるという状態でした。
戦線が南へ行けば、兵站基地の日本に近くなる国連軍が有利、北へ行けば根拠地の近くなる北朝鮮・中国が有利、という状態で決定打が出なかったのも原因でしょう。
李承晩大統領は最後まで休戦に反対していたため、休戦協定に調印していません。
50年7月14日付で李承晩がマッカーサーに宛てた文書の「大韓民国のために国際連合が共同の軍事的努力をおこなうにあたって、現作戦状態を継続するあいだ、一切の指揮権を委譲する」という文言によって韓国軍の指揮権は国連軍最高司令官に委譲されました。
これによって、韓国の意見を容れずとも、国連軍司令官が休戦協定に調印してしまえば協定は有効である、というわけです。
また戦争状態が続く限り(韓朝いずれかが滅びるか、講和条約が締結されるまで)、指揮権は国連軍にあるというわけです。
この指揮権委譲に関する、いわゆる「大田協定」が、現在まで続く「国連軍による韓国軍指揮権の保持」のもとになります。
これは メッセージ 621 (botannabe2003 さん)への返信です.
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