高麗時代『トンネル』遺跡を発見ニダ!
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/03/17 19:50 投稿番号: [4436 / 7922]
本当は、任那とか百済の遺跡なんじゃないの?
米文化で、青銅器文明なんでしょ?
高麗の時代に、青銅器じゃおかしくないの?
>前方後円墳と一緒で倭色がとても強いことが知られている。
また日本の歴史がらみで粘着してくるネタを掘り当てたのか…orz
百済そのものが大和民族の政権なんだから倭色が強いのも当たり前。
基本的に朝鮮には古墳を創る習慣は無かった。
倭人領主の墳墓と見るのが自然かと・・・
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光州で正体不明の高麗時代『トンネル』遺跡を発見
その機能に予想を付け難い高麗時代『土窟(トンネル・洞穴)』遺跡が光州(クァンジュ)広域市で多数確認された。
湖南(ホナム) 文化財研究院(院長ユン・ドクヒャン)は去年5月以後、国道49号線(本徳(ポンドク)〜林谷(イムゴク))道路工事区間に位置した光州光山区蓮山洞(クァンサング ヨンサンドン)一帯を調査した結果、この山亭(サンジョン)村裏手の野山海抜35−40m地点から計24ヶ所にのぼる竪穴遺跡を確認して、この中6ヶ所はL字形に地面を掘削して窪みを造成したことが分かったと16日明らかにした。
L字形竪穴は内部の窪み基準で規模が長さ164−302cm、幅110−170cm、深さ40−150cmにのぼる。
責任調査員であるイ・ヨンチョル湖南文化財研究院調査室長は「初めは忠南公州長善里(チュンナムコンジュ チャンソルリ)遺跡で集団で確認された西歴3-4世紀頃のいわゆる『土室』遺跡ではないかと思ったが、意外にも高麗時代の遺物が出た」と語った。
イ室長は「墓である可能性も考えたが皿や浅い陶器、かめ、瓶、青銅器の他に甑(米を蒸す道具)まで出たためにそのような可能性は一応低いと判断する」「穀物などを保存するための施設であるかも知れない」と付け加えた。
今度の調査対象地では3世紀頃に築造されたと考えられる平面梯形(台形)である封土墳 3基が確認された。この中で3号墳は調査以前にもう相当部分が削られていたにも封土基準で長さ35mに幅だけで11mに至る大型級で、その周辺には溝のような施設である周溝があることが分かった。
このような墓は湖南地方で珍しく無く、いわゆる前方後円墳と一緒で倭色がとても強いことが知られている。日本列島では弥生時代にこのような墓が集中して登場する。
3号墳周辺ではこの墓の長軸に付いて土壙墓 5基が並んで現れた。これに見て調査団は土壙墓が封土分科別に造成されたのではなく、大型封土墳を守護するための『陪葬墓』である可能性が大きいと見ている。
同じ道路工事区間に含まれた竜谷(ヨンゴク)地区で確認された遺跡の中で竜谷5号墳埋葬主体部(死体を埋めた所)では黒い色を帯びて首が短い黒陶短頚壷というかめ型土器が出土した。
調査団はこの土器が二重口縁壺という土器と共に出土することによって初期鉄器時代−原三国(三国時代初期)交代期頃の考古学編年を設定するのに重要な資料になる見込みだと付け加えた。
連合ニュース(画像アリ)
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2007/03/16/0906000000AKR20070316115700005.HTML
米文化で、青銅器文明なんでしょ?
高麗の時代に、青銅器じゃおかしくないの?
>前方後円墳と一緒で倭色がとても強いことが知られている。
また日本の歴史がらみで粘着してくるネタを掘り当てたのか…orz
百済そのものが大和民族の政権なんだから倭色が強いのも当たり前。
基本的に朝鮮には古墳を創る習慣は無かった。
倭人領主の墳墓と見るのが自然かと・・・
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光州で正体不明の高麗時代『トンネル』遺跡を発見
その機能に予想を付け難い高麗時代『土窟(トンネル・洞穴)』遺跡が光州(クァンジュ)広域市で多数確認された。
湖南(ホナム) 文化財研究院(院長ユン・ドクヒャン)は去年5月以後、国道49号線(本徳(ポンドク)〜林谷(イムゴク))道路工事区間に位置した光州光山区蓮山洞(クァンサング ヨンサンドン)一帯を調査した結果、この山亭(サンジョン)村裏手の野山海抜35−40m地点から計24ヶ所にのぼる竪穴遺跡を確認して、この中6ヶ所はL字形に地面を掘削して窪みを造成したことが分かったと16日明らかにした。
L字形竪穴は内部の窪み基準で規模が長さ164−302cm、幅110−170cm、深さ40−150cmにのぼる。
責任調査員であるイ・ヨンチョル湖南文化財研究院調査室長は「初めは忠南公州長善里(チュンナムコンジュ チャンソルリ)遺跡で集団で確認された西歴3-4世紀頃のいわゆる『土室』遺跡ではないかと思ったが、意外にも高麗時代の遺物が出た」と語った。
イ室長は「墓である可能性も考えたが皿や浅い陶器、かめ、瓶、青銅器の他に甑(米を蒸す道具)まで出たためにそのような可能性は一応低いと判断する」「穀物などを保存するための施設であるかも知れない」と付け加えた。
今度の調査対象地では3世紀頃に築造されたと考えられる平面梯形(台形)である封土墳 3基が確認された。この中で3号墳は調査以前にもう相当部分が削られていたにも封土基準で長さ35mに幅だけで11mに至る大型級で、その周辺には溝のような施設である周溝があることが分かった。
このような墓は湖南地方で珍しく無く、いわゆる前方後円墳と一緒で倭色がとても強いことが知られている。日本列島では弥生時代にこのような墓が集中して登場する。
3号墳周辺ではこの墓の長軸に付いて土壙墓 5基が並んで現れた。これに見て調査団は土壙墓が封土分科別に造成されたのではなく、大型封土墳を守護するための『陪葬墓』である可能性が大きいと見ている。
同じ道路工事区間に含まれた竜谷(ヨンゴク)地区で確認された遺跡の中で竜谷5号墳埋葬主体部(死体を埋めた所)では黒い色を帯びて首が短い黒陶短頚壷というかめ型土器が出土した。
調査団はこの土器が二重口縁壺という土器と共に出土することによって初期鉄器時代−原三国(三国時代初期)交代期頃の考古学編年を設定するのに重要な資料になる見込みだと付け加えた。
連合ニュース(画像アリ)
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2007/03/16/0906000000AKR20070316115700005.HTML
これは メッセージ 1 (amanattousuki2003 さん)への返信です.