Re: >杖道
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/02/11 00:21 投稿番号: [394 / 7922]
>戦場ではまず槍術、槍が折れれば抜刀術(居合抜)ののち剣法、組み打ちになれば柔術、という具合でしたね。平時は十手術や杖術でしたか。
>総合的武術でないと役に立ちませんし。
まぁ、煎じ詰めれば古くは「京八流」「鹿島七流」に始まり。
「剣術」と思われがちな「念流」「神道流」「陰流」(から派生した「新陰流」更に派生した「柳生新陰流」「神後流」「疋田陰流」「タイ捨流」「神影流」)も、実は創生初期は「総合武術」でしたし。
念流からは「中条流」「富田流」といった「小太刀」流派が派生しておりましたね・・・
>たしか、宮本武蔵の父も新免流十手術の使い手だったような記憶があります。
そうそう、そうでした。
ま、十手術、と言うより、実際は総合刀剣術だったのでは、等と考えたりしますが・・・
>韓国の誇る「コムド」は、そのへんはどうなっているのでしょうかね?(笑)
「「剣道(Kumdo)」の直訳は「剣の道」である。
韓国における剣術は青銅器時代まで3000年以上さかのぼれる武道の伝統から発展した。
考古学的な記録は、満州(Manchuria)から朝鮮半島、そして日本本島における初期の植民地まで広がる領土を守るために、
剣と剣術が韓国古代の日常生活の一部であったことを示している。」
「およそ2000年前の三国時代初期、「本国剣法(Bon Gook Gum Bup)」すなわち「本国の剣」と呼ばれる固有の剣術が新羅(Shilla)の花郎(Hwa Rang)という武士によって開発された。」
「統一新羅と渤海が滅亡したおよそ500年後、高麗王朝滅亡に続く15世紀の朝鮮王朝の初期、
政治的およびイデオロギー的土台が劇的に変わった。
これらの変化は兵卒の武士階級とその支持母体の消失をもたらした。
こうして剣術は、学者よりも劣っていると見なされていた国軍に徐々に限定されていった。
朝鮮王朝末まで剣術は、この武道を「撃剣(Ghihuck-Gum)」の名で洗練させて発展させた国軍で、主に個人的に修練され、教えられていた。」
「近代化の時代である1896年、「撃剣」という名で知られていた剣術は、新たに設立された警察学校の必須訓練に選ばれた。
のちに、スポーツあるいは人格形成や精神鍛錬の手段として修練されるように、
「剣術(the art of the sword)」と道教(Taoist philosophy)に由来する「正道(the way of righteousness)」との
近代的混合物である剣道(Kumdo)が開発された。」
等とほざいておりますが(笑)
ttp://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/kumdo_history.htm
反面
「茅元義は15年間の刻苦の果てに1621年<武備志>をものにした。
古今の兵書二千余巻を研究、検討、整理した所産だという。
この中に我々の<朝鮮勢法>が入っているのだ。
(中略)
朝鮮は壬辰倭乱(文祿の役)が起きるとすぐ、その時になって初めて武器庫を開けてみると、
刀は錆がついて刀の鞘について抜くことが出来なかったという。
これが当時の我々の現実だった。
辛うじて<紀効新書>を得て軍事訓練させたが、これを整理したのがまさに韓国の<武芸諸譜>(1598年)だ。
この本は六技で構成されたが、<紀効新書>に従ったものが四技で、
剣譜と党巴は他の書籍や中国の兵士らの実技を参考にしたようだ。
(中略)
ここで我々は気がかりなことを持つようになる。
茅元儀が<朝鮮勢法>を朝鮮で得たと言ったのに、なぜ我々はこれを知らずにいたのだろうか?
(中略)
朝鮮は開国以来、世祖から成宗の時代にまでなっても宮中で撃剣、撃棒のような武戯が盛んに行われたが、
その後、壬辰倭乱(文祿の役)の時まで100余年間は党争と史話の連続で内紛ばかりあっただけであり、
軍事の調練は全く度外視したのが事実だった。
また開国初めに我が国の古代の思想的根源になる書雲観の門跡を孔子の道に背反になるとして、
一挙に燃やしてしまった点から推して、仙人・風月道の気風は消えて久しく、ただ事大慕華ばかりが横行した時期だったことがわかる。
このような事大思想によって、あらゆる武術やその機器も皆中国が作ったとして、
我々の武芸は弓矢一つだけだと堂々と記録したことだけ見てもその妄言の度が分かる。」
等と、アンビバレンツなこともほざいております(笑)
ttp://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/saebub.htm
見た限りでは、日本の中世剣術(倭寇も使用していたであろう)を、中国人が記録して。
それをどっかから見つけ出して「お花畑回路」全開にしてでっちあげた、と言ったところでしょうか。
「剣技だけ」ですもん(笑)
>総合的武術でないと役に立ちませんし。
まぁ、煎じ詰めれば古くは「京八流」「鹿島七流」に始まり。
「剣術」と思われがちな「念流」「神道流」「陰流」(から派生した「新陰流」更に派生した「柳生新陰流」「神後流」「疋田陰流」「タイ捨流」「神影流」)も、実は創生初期は「総合武術」でしたし。
念流からは「中条流」「富田流」といった「小太刀」流派が派生しておりましたね・・・
>たしか、宮本武蔵の父も新免流十手術の使い手だったような記憶があります。
そうそう、そうでした。
ま、十手術、と言うより、実際は総合刀剣術だったのでは、等と考えたりしますが・・・
>韓国の誇る「コムド」は、そのへんはどうなっているのでしょうかね?(笑)
「「剣道(Kumdo)」の直訳は「剣の道」である。
韓国における剣術は青銅器時代まで3000年以上さかのぼれる武道の伝統から発展した。
考古学的な記録は、満州(Manchuria)から朝鮮半島、そして日本本島における初期の植民地まで広がる領土を守るために、
剣と剣術が韓国古代の日常生活の一部であったことを示している。」
「およそ2000年前の三国時代初期、「本国剣法(Bon Gook Gum Bup)」すなわち「本国の剣」と呼ばれる固有の剣術が新羅(Shilla)の花郎(Hwa Rang)という武士によって開発された。」
「統一新羅と渤海が滅亡したおよそ500年後、高麗王朝滅亡に続く15世紀の朝鮮王朝の初期、
政治的およびイデオロギー的土台が劇的に変わった。
これらの変化は兵卒の武士階級とその支持母体の消失をもたらした。
こうして剣術は、学者よりも劣っていると見なされていた国軍に徐々に限定されていった。
朝鮮王朝末まで剣術は、この武道を「撃剣(Ghihuck-Gum)」の名で洗練させて発展させた国軍で、主に個人的に修練され、教えられていた。」
「近代化の時代である1896年、「撃剣」という名で知られていた剣術は、新たに設立された警察学校の必須訓練に選ばれた。
のちに、スポーツあるいは人格形成や精神鍛錬の手段として修練されるように、
「剣術(the art of the sword)」と道教(Taoist philosophy)に由来する「正道(the way of righteousness)」との
近代的混合物である剣道(Kumdo)が開発された。」
等とほざいておりますが(笑)
ttp://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/kumdo_history.htm
反面
「茅元義は15年間の刻苦の果てに1621年<武備志>をものにした。
古今の兵書二千余巻を研究、検討、整理した所産だという。
この中に我々の<朝鮮勢法>が入っているのだ。
(中略)
朝鮮は壬辰倭乱(文祿の役)が起きるとすぐ、その時になって初めて武器庫を開けてみると、
刀は錆がついて刀の鞘について抜くことが出来なかったという。
これが当時の我々の現実だった。
辛うじて<紀効新書>を得て軍事訓練させたが、これを整理したのがまさに韓国の<武芸諸譜>(1598年)だ。
この本は六技で構成されたが、<紀効新書>に従ったものが四技で、
剣譜と党巴は他の書籍や中国の兵士らの実技を参考にしたようだ。
(中略)
ここで我々は気がかりなことを持つようになる。
茅元儀が<朝鮮勢法>を朝鮮で得たと言ったのに、なぜ我々はこれを知らずにいたのだろうか?
(中略)
朝鮮は開国以来、世祖から成宗の時代にまでなっても宮中で撃剣、撃棒のような武戯が盛んに行われたが、
その後、壬辰倭乱(文祿の役)の時まで100余年間は党争と史話の連続で内紛ばかりあっただけであり、
軍事の調練は全く度外視したのが事実だった。
また開国初めに我が国の古代の思想的根源になる書雲観の門跡を孔子の道に背反になるとして、
一挙に燃やしてしまった点から推して、仙人・風月道の気風は消えて久しく、ただ事大慕華ばかりが横行した時期だったことがわかる。
このような事大思想によって、あらゆる武術やその機器も皆中国が作ったとして、
我々の武芸は弓矢一つだけだと堂々と記録したことだけ見てもその妄言の度が分かる。」
等と、アンビバレンツなこともほざいております(笑)
ttp://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/saebub.htm
見た限りでは、日本の中世剣術(倭寇も使用していたであろう)を、中国人が記録して。
それをどっかから見つけ出して「お花畑回路」全開にしてでっちあげた、と言ったところでしょうか。
「剣技だけ」ですもん(笑)
これは メッセージ 392 (toapanlang さん)への返信です.