高橋先生の論を具体的に知りたいものだ
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2006/09/02 05:18 投稿番号: [3042 / 7922]
「議院内閣制のメカニズムで重要なことは、内閣がその存立のためには単に国会(特に衆議院)の多数派の支持を必要とすると言うことだけではなくて、むしろ国民の多数の支持を必要とするということである。というのは、衆議院は、内閣が国民の多数に支持されている限り、安易に内閣不信任を行うことはできない。衆議院解散の反撃を受けたとき、選挙で苦戦することを覚悟しなければならないからである。(どうも、郵政解散の直前に書かれたらしいこの本は、このような状態までは頭に入っていないようだ。小泉のほうが憲法学者などより数段上。
「逆に言えば、内閣が自己を支持する衆議院の多数派の溶解を阻止する最善の方法は、自己の政策に対する国民の支持を確保することだと言うことになる。
「内閣も衆議院も、あるいは与党も野党も、相手が自己を破壊する武器(不信任・解散権)を行使でいないようにするための最善の方法は、相手よりも国民の意思により近いところに身をことであり、これにより国民意思への接近競争の動因が生み出されるのである。それは、国民の側から見れば、国政の政策選択が国政に反映されると言うことを意味する。
「二元型議院内閣制から一元型議院内閣制へと展開し、国民を代表する議会が発言権を高めていったと言う歴史を基礎に考えれば、内閣が議会と対抗する武器である解散権が非民主的と烙印され正弦されていくことも自然な展開に見える。その極限として内閣に解散権を否定し、内閣を議会に隷属させる議会統治制が展望され、議会統治制こそがもっとも民主的だという見解が生じる(フランス革命がこれで失敗したはずなんだがな)。
「議会統治が国民国民主権の現実化として機能するには、直接民主的な制度を広範囲取り入れることにより国民が真に政治の主体となり、議会は国民に従属するという構造を必要とする。(ギリシャの直接民主制の上に議会を乗っけたようなもんだな)
「代表民主制の下に議会統治型を志向すれば、解散権の脅威から逃れた議会が同時に国民からも遊離すると言う展開におちいりやすい。(で、直接民主制的なものを取り入れるという考慮が必要となるということだろうが、高橋先生もこのあたりはもてあましているようだな。憲法学者、憲法学の限界だな)
「議院内閣制を考察する場合、議会と内閣のどちらがより民主的かという見方をするのではなく、議会と内閣がどのような相互関係に置かれたとき、国民の意思は最もよく政治に反映されることになるかという観点から問題を捉えていくべきである。
「そうすれば、代表民主制を基礎にする限り、内閣に自由な解散権を与え、議会を解散の恒常的な脅威の下に置いたほうがよいことが理解される。(この当たりは親分の芦部の説と対立するな。ま、芦部も死んだことだし、問題なしか)
「制度的には、衆議院の不信任権と内閣の自由な解散権が対抗するという図式は確立されている」
「にもかかわらず、現実の運用が国民の意思に基づく政治を十分に実現しえていないとすれば、それは制度以外の要因からくるものと考えざるをえない」(やっと憲法学の限界を認めたようだ。ことは政治学となる。国民の意思などといいながら、その具体的分析は憲法学などではできない)
「政治には二つの心理的属性が含まれている。一つは民主的志向性であり、他は独裁化的志向性である。政治におけるこの民主化と独裁化とは人間性に深く根ざす社会心理的な志向性なのである」(原田鋼)
「逆に言えば、内閣が自己を支持する衆議院の多数派の溶解を阻止する最善の方法は、自己の政策に対する国民の支持を確保することだと言うことになる。
「内閣も衆議院も、あるいは与党も野党も、相手が自己を破壊する武器(不信任・解散権)を行使でいないようにするための最善の方法は、相手よりも国民の意思により近いところに身をことであり、これにより国民意思への接近競争の動因が生み出されるのである。それは、国民の側から見れば、国政の政策選択が国政に反映されると言うことを意味する。
「二元型議院内閣制から一元型議院内閣制へと展開し、国民を代表する議会が発言権を高めていったと言う歴史を基礎に考えれば、内閣が議会と対抗する武器である解散権が非民主的と烙印され正弦されていくことも自然な展開に見える。その極限として内閣に解散権を否定し、内閣を議会に隷属させる議会統治制が展望され、議会統治制こそがもっとも民主的だという見解が生じる(フランス革命がこれで失敗したはずなんだがな)。
「議会統治が国民国民主権の現実化として機能するには、直接民主的な制度を広範囲取り入れることにより国民が真に政治の主体となり、議会は国民に従属するという構造を必要とする。(ギリシャの直接民主制の上に議会を乗っけたようなもんだな)
「代表民主制の下に議会統治型を志向すれば、解散権の脅威から逃れた議会が同時に国民からも遊離すると言う展開におちいりやすい。(で、直接民主制的なものを取り入れるという考慮が必要となるということだろうが、高橋先生もこのあたりはもてあましているようだな。憲法学者、憲法学の限界だな)
「議院内閣制を考察する場合、議会と内閣のどちらがより民主的かという見方をするのではなく、議会と内閣がどのような相互関係に置かれたとき、国民の意思は最もよく政治に反映されることになるかという観点から問題を捉えていくべきである。
「そうすれば、代表民主制を基礎にする限り、内閣に自由な解散権を与え、議会を解散の恒常的な脅威の下に置いたほうがよいことが理解される。(この当たりは親分の芦部の説と対立するな。ま、芦部も死んだことだし、問題なしか)
「制度的には、衆議院の不信任権と内閣の自由な解散権が対抗するという図式は確立されている」
「にもかかわらず、現実の運用が国民の意思に基づく政治を十分に実現しえていないとすれば、それは制度以外の要因からくるものと考えざるをえない」(やっと憲法学の限界を認めたようだ。ことは政治学となる。国民の意思などといいながら、その具体的分析は憲法学などではできない)
「政治には二つの心理的属性が含まれている。一つは民主的志向性であり、他は独裁化的志向性である。政治におけるこの民主化と独裁化とは人間性に深く根ざす社会心理的な志向性なのである」(原田鋼)
これは メッセージ 3041 (Televicco さん)への返信です.