日王メモ・・・疑問点「朕と私」と他
投稿者: amanattousuki2003 投稿日時: 2006/07/22 07:06 投稿番号: [2619 / 7922]
私の愛用しているサイトです。^0^
同じような疑問を提示されていましたので、転載しておきます。
・・・・・・・
http://vortex.milkcafe.to/nikkei.html
■疑惑のメモ……?
まず、現在提示されている疑問を箇条書きにします。
1)昭和天皇の一人称
プライベートでは「朕」を使用していたことが知られています。ここで『私』といっている主体は昭和天皇ではないのではないでしょうか。
【追記】
07/21付けの日経新聞では33面で特集を組んでいます。この中で昭和天皇が『私』という一人称を使っている部分は他にはありませんでした。
全体から見たとき、上記部分の『私は或る時に〜』という記述はなんとも唐突で、かつ浮いている印象を受けました。
2)参拝?
神道の最高神である天照大神の子孫である天皇陛下が神社に「参拝」することはありません。この場合は「親拝」するとなるのでしょうかね?
どちらにせよ『だから 私あれ以来参拝していない』とありますが、この場合『私』が昭和天皇ではないとしか考えられません。
3)『あれ以来』とは?
A級戦犯が合祀されたのは1978年。昭和天皇が最後に靖国に行かれたのが1975年。そして1988年になって『あれ以来』というのは言い回しとしてもおかしい。
4)『関連質問』とは?
テレビなどでは報じられていないメモの最終行に『関連質問 関係者もおり批判になるの意』とあります。
しかし、昭和天皇との会話でこういったプライベートな問題に対して宮内庁長官が質問をするものでしょうか? また、それを『関連質問』とメモに記すでしょうか?
5)発言の唐突さ
1988年の天皇誕生日の前日、いきなりなんの前振りもなく話す内容としてかなり唐突であるように見受けられます。日経新聞7/21付けでは特集扱いをしており、他の発言も紹介しているのですが……なんとも唐突な発言であるように思われます。
6)メモの特異性
産経新聞によると、数多い手帳の中でもこのようにメモが糊付けされて貼られているのはここだけのようです。確実にいえるのは、不自然であるということ。
これらの疑問を統合すると、このメモに書かれている『私』とは昭和天皇ではないのではないかという疑惑が浮かんできます。
では、誰なのかと考えたときに、ここにひとつのヒントがあります。
当時の昭和天皇の侍従長であった故徳川義寛氏の意見です。テレビ朝日のニュースステーションのウェブページに靖国問題を取り上げた回のバックナンバーがあります。
読みにくいのですが、こちらのページの一番下にも、引用されています。
詳しくは徳川義寛『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』を参照してください。
これらのページによると徳川侍従長は、靖国神社に対して以下のような意見を持っていたとされています。
1)「松岡洋右さんのように軍人でもなく病死した人も合祀するのはおかしい」
2)「筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」
上記のメモの中にある意見に相似しています。また、侍従長と宮内庁長官の間であれば『質問』することも普通にあるでしょう。一人称の問題も、また『参拝』という言葉に関しても問題がなくなります。 故徳川氏との会話をメモっていた……という可能性も充分にあります。
こういった内容を考慮せずに、昭和天皇の言葉とするにはあまりに浅慮ではないかとも考えられます。
同じような疑問を提示されていましたので、転載しておきます。
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http://vortex.milkcafe.to/nikkei.html
■疑惑のメモ……?
まず、現在提示されている疑問を箇条書きにします。
1)昭和天皇の一人称
プライベートでは「朕」を使用していたことが知られています。ここで『私』といっている主体は昭和天皇ではないのではないでしょうか。
【追記】
07/21付けの日経新聞では33面で特集を組んでいます。この中で昭和天皇が『私』という一人称を使っている部分は他にはありませんでした。
全体から見たとき、上記部分の『私は或る時に〜』という記述はなんとも唐突で、かつ浮いている印象を受けました。
2)参拝?
神道の最高神である天照大神の子孫である天皇陛下が神社に「参拝」することはありません。この場合は「親拝」するとなるのでしょうかね?
どちらにせよ『だから 私あれ以来参拝していない』とありますが、この場合『私』が昭和天皇ではないとしか考えられません。
3)『あれ以来』とは?
A級戦犯が合祀されたのは1978年。昭和天皇が最後に靖国に行かれたのが1975年。そして1988年になって『あれ以来』というのは言い回しとしてもおかしい。
4)『関連質問』とは?
テレビなどでは報じられていないメモの最終行に『関連質問 関係者もおり批判になるの意』とあります。
しかし、昭和天皇との会話でこういったプライベートな問題に対して宮内庁長官が質問をするものでしょうか? また、それを『関連質問』とメモに記すでしょうか?
5)発言の唐突さ
1988年の天皇誕生日の前日、いきなりなんの前振りもなく話す内容としてかなり唐突であるように見受けられます。日経新聞7/21付けでは特集扱いをしており、他の発言も紹介しているのですが……なんとも唐突な発言であるように思われます。
6)メモの特異性
産経新聞によると、数多い手帳の中でもこのようにメモが糊付けされて貼られているのはここだけのようです。確実にいえるのは、不自然であるということ。
これらの疑問を統合すると、このメモに書かれている『私』とは昭和天皇ではないのではないかという疑惑が浮かんできます。
では、誰なのかと考えたときに、ここにひとつのヒントがあります。
当時の昭和天皇の侍従長であった故徳川義寛氏の意見です。テレビ朝日のニュースステーションのウェブページに靖国問題を取り上げた回のバックナンバーがあります。
読みにくいのですが、こちらのページの一番下にも、引用されています。
詳しくは徳川義寛『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』を参照してください。
これらのページによると徳川侍従長は、靖国神社に対して以下のような意見を持っていたとされています。
1)「松岡洋右さんのように軍人でもなく病死した人も合祀するのはおかしい」
2)「筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」
上記のメモの中にある意見に相似しています。また、侍従長と宮内庁長官の間であれば『質問』することも普通にあるでしょう。一人称の問題も、また『参拝』という言葉に関しても問題がなくなります。 故徳川氏との会話をメモっていた……という可能性も充分にあります。
こういった内容を考慮せずに、昭和天皇の言葉とするにはあまりに浅慮ではないかとも考えられます。
これは メッセージ 1 (amanattousuki2003 さん)への返信です.