資料で見る大韓民国建国史
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/07/29 12:52 投稿番号: [3231 / 3669]
まぁ古代において、史料がないのはわかるけど、20世紀中期の現代史でも、資料に基づく歴史書がいままでなかったことのほうに驚きますが。
周辺国に資料がありまくりだし、国際条約などしっかりとした根拠まで存在してるわけだし。
要するにまともな歴史学者と学会が存在していないことを認めたということだね。
韓国人の自尊心を傷つける都合の悪い史実は、絶対認めようとしないし。
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事実と主張を徹底的に区別した韓国現代史
【新刊】千寛宇著『資料で見る大韓民国建国史』(知識産業社)
1941年12月9日、大韓民国臨時政府は「対日宣戦声明書」を発表した。「韓国の全人民は現在、すでに反侵略戦線に加わっており、1つの戦闘単位として枢軸国に宣戦する。韓国・中国および西太平洋から倭寇(日本)を完全に駆逐するため、最後の勝利を得るまで血戦する」
しかし、国際情勢は韓国を国際社会の一員として認めなかった。1943年12月1日、米英中の3カ国は「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、適切な時期に朝鮮を自主独立させるようにすることを決定する」というカイロ宣言を採択した。日本の植民地から解放される(日本が敗戦する)20日前の45年7月26日、3つの同盟国は再び「“カイロ”宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と、ドイツのポツダムで宣言した。
解放後、独立した統一国家が建設されるかと思われたが、38度線の画定や南北の米ソ軍政、米ソ共同委員会の決裂、韓国問題の国連上程といった国際関係の変化に伴い、南北別々の政府が建てられることになった。日本帝国主義の末期から大韓民国が建設されるまでの約10年間、韓国は激変する国際社会の渦中の真っ只中にいた。この時期ほど国内・国際的に数多くの事件がかさなったことはなかっただろう。そのため、一般人はもちろん、この時期を研究課題とする研究者たちも、多数の事件と記録の海をさ迷うことになる。
同書は、膨大な資料の中から重要な事件を年代順に選び出し、該当する第1次文献を提示した後、解説をつけている。解放直後、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)を中心とする建国準備委員会宣言文、「連合国総司令官の命令に違反した者は処罰すること」を宣言した米第8軍司令官ハジ中将の布告文、38度線を画定した「連合国最高司令部一般命令第1号」などの文献を読むと、大韓民国の建国過程がありありと蘇る。解放後の歴史における主な史料やその意義が1冊に集約されているのだ。
このように編集されている同書のすばらしい点は、史料の根拠と著者の主張が明確に区別されていることとだ。韓国現代史に関する本は多数あるが、どこまでが史料に基づき、どこまでが著者の主張なのか、はっきりしない物も多い。しかし、同書は主な事件当時者の声と、資料をそのまま提示し、著者の見解を添えたことで、「事実」と「主張」を徹底的に区分している。
著者は韓国日報論説委員・朝鮮日報編集局長・東亜日報主筆を務めたジャーナリストであると同時に、『■渓 柳馨遠(ユ・ヒョンウォン)研究』(■は石へんに番)などの独自の歴史論文を執筆、歴史編さん委員会委員や韓国思想史学会会長でもあった千寛宇(チョン・グァヌ=1925−91=)氏。55年に韓国日報に連載された「史料で見た解放10年の歴史」と59年に朝鮮日報に連載された「資料中心、政府が樹立されるまで」をまとめた1冊だ。
ttp://www.chosunonline.com/article/20070729000005
周辺国に資料がありまくりだし、国際条約などしっかりとした根拠まで存在してるわけだし。
要するにまともな歴史学者と学会が存在していないことを認めたということだね。
韓国人の自尊心を傷つける都合の悪い史実は、絶対認めようとしないし。
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事実と主張を徹底的に区別した韓国現代史
【新刊】千寛宇著『資料で見る大韓民国建国史』(知識産業社)
1941年12月9日、大韓民国臨時政府は「対日宣戦声明書」を発表した。「韓国の全人民は現在、すでに反侵略戦線に加わっており、1つの戦闘単位として枢軸国に宣戦する。韓国・中国および西太平洋から倭寇(日本)を完全に駆逐するため、最後の勝利を得るまで血戦する」
しかし、国際情勢は韓国を国際社会の一員として認めなかった。1943年12月1日、米英中の3カ国は「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、適切な時期に朝鮮を自主独立させるようにすることを決定する」というカイロ宣言を採択した。日本の植民地から解放される(日本が敗戦する)20日前の45年7月26日、3つの同盟国は再び「“カイロ”宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と、ドイツのポツダムで宣言した。
解放後、独立した統一国家が建設されるかと思われたが、38度線の画定や南北の米ソ軍政、米ソ共同委員会の決裂、韓国問題の国連上程といった国際関係の変化に伴い、南北別々の政府が建てられることになった。日本帝国主義の末期から大韓民国が建設されるまでの約10年間、韓国は激変する国際社会の渦中の真っ只中にいた。この時期ほど国内・国際的に数多くの事件がかさなったことはなかっただろう。そのため、一般人はもちろん、この時期を研究課題とする研究者たちも、多数の事件と記録の海をさ迷うことになる。
同書は、膨大な資料の中から重要な事件を年代順に選び出し、該当する第1次文献を提示した後、解説をつけている。解放直後、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)を中心とする建国準備委員会宣言文、「連合国総司令官の命令に違反した者は処罰すること」を宣言した米第8軍司令官ハジ中将の布告文、38度線を画定した「連合国最高司令部一般命令第1号」などの文献を読むと、大韓民国の建国過程がありありと蘇る。解放後の歴史における主な史料やその意義が1冊に集約されているのだ。
このように編集されている同書のすばらしい点は、史料の根拠と著者の主張が明確に区別されていることとだ。韓国現代史に関する本は多数あるが、どこまでが史料に基づき、どこまでが著者の主張なのか、はっきりしない物も多い。しかし、同書は主な事件当時者の声と、資料をそのまま提示し、著者の見解を添えたことで、「事実」と「主張」を徹底的に区分している。
著者は韓国日報論説委員・朝鮮日報編集局長・東亜日報主筆を務めたジャーナリストであると同時に、『■渓 柳馨遠(ユ・ヒョンウォン)研究』(■は石へんに番)などの独自の歴史論文を執筆、歴史編さん委員会委員や韓国思想史学会会長でもあった千寛宇(チョン・グァヌ=1925−91=)氏。55年に韓国日報に連載された「史料で見た解放10年の歴史」と59年に朝鮮日報に連載された「資料中心、政府が樹立されるまで」をまとめた1冊だ。
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これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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