船窓夜話ー第二十五弾ードンキホテー2
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/15 18:37 投稿番号: [2909 / 3669]
後で個人的なことを話し合ったりして分かったことだが二人は同郷の人で1等舵手は3等航海士の家柄を知っていると言うから3等航海士はいぶかしく思い、休暇をとって下船した時お父さんに聞いてみると、1等舵手の名前を聞いて、‘昔隣の町に住んでいた下人の部落の人のようだ’との答えをきいたそうだ。1等舵手は海運公社の初創期から対米航路を走るKタイプの船舶に乗船したことにはなはだ自負心をもっていたそうだ。
当時海運公社が政府所有の船舶会社として発足した時、米国の‘余剰農産物援助計画’によって米国から夥しい量の米を長期間に渡って運んだ時期があった。韓国戦争が終わって何もなくて飢え死にするところに援助米が大切な庶民の糧として配給された時があった。それが米運搬を受け持った海運公社が国内ではほとんど唯一の船舶会社として急成長できた背景である。後で作曲家で元私立H大学長であるK氏が引き受けて民間企業として運営するようになった。K氏も海運事業でお金をたくさん設けて蓄積した財力で荘厳な家屋を建てたりして人目をひいたこともあった。
話がそれるが、そのK氏の財産を目当てにしたいか妖婦みたいな女がK氏の自宅に家政婦を志願、接近して誘惑したので普段、女が好きでスキャンダルを起こしていたK氏が嫌うわけがなかった。結局、女のシナリオどおり彼はあの女に手を出してしまって、噂を出すと脅迫されて、相当なお金をとられてその事件は終わった。あの女はおそらく近代韓国のそのすじの女の始祖だったのか。
当時、対米航路がめずらしかった時期だったから韓国で知られていた俳優など有名人たちはK氏に頼んで、海運公社の船で渡米することもまれなことではなかった。この頃になっては半日でソウルからAに行けるけどその当時は船舶を利用して2~3週かけていくことも平気に思う程外国に出かけること自体がものすごくむずかしかった。
その以降、朴大統領の開発独裁に便乗し、船舶会社がだんだん増えてきて海運公社は古い船舶だけでは競争しきれなくなって廃船とか売船で船乗りの仕事先が減ってくるとこの二人を含めた多くの船員たちがK船舶会社のユニホォムに着替えることになった。
二人はK海運へ移った後、再び同じ船舶に乗船するようになった。2等航海士へ進級し、B号をはじめ、乗船経歴を積んだ後、1等航海士で発令を受け、待機中、釜山の中央洞にある会社に寄ったとき、当直をいっしょにしていた1等舵手に出会った。1舵手もストーキ(英語でstore keeper, 甲板長補)へ昇進したが休暇を終えてからも船が取れなく会社に出て来て人事担当者と口喧嘩をしていた。“アイゴ、初士(1航士)、お久しぶりですね・・・俺、船に乗せてくれませんか?”印象派の顔をしたストーキが1航士に哀願した。人事担当者の海務代理は1航士の2年後輩であり在学中、内務訓練のとき、バットを打ちながら訓練した先・後輩関係だった。“船しらべてみろ”と先輩がいうのに拒否する後輩はいない。配置をしていたら、つい又、同じ船に乗るようになった。(つづき)
当時海運公社が政府所有の船舶会社として発足した時、米国の‘余剰農産物援助計画’によって米国から夥しい量の米を長期間に渡って運んだ時期があった。韓国戦争が終わって何もなくて飢え死にするところに援助米が大切な庶民の糧として配給された時があった。それが米運搬を受け持った海運公社が国内ではほとんど唯一の船舶会社として急成長できた背景である。後で作曲家で元私立H大学長であるK氏が引き受けて民間企業として運営するようになった。K氏も海運事業でお金をたくさん設けて蓄積した財力で荘厳な家屋を建てたりして人目をひいたこともあった。
話がそれるが、そのK氏の財産を目当てにしたいか妖婦みたいな女がK氏の自宅に家政婦を志願、接近して誘惑したので普段、女が好きでスキャンダルを起こしていたK氏が嫌うわけがなかった。結局、女のシナリオどおり彼はあの女に手を出してしまって、噂を出すと脅迫されて、相当なお金をとられてその事件は終わった。あの女はおそらく近代韓国のそのすじの女の始祖だったのか。
当時、対米航路がめずらしかった時期だったから韓国で知られていた俳優など有名人たちはK氏に頼んで、海運公社の船で渡米することもまれなことではなかった。この頃になっては半日でソウルからAに行けるけどその当時は船舶を利用して2~3週かけていくことも平気に思う程外国に出かけること自体がものすごくむずかしかった。
その以降、朴大統領の開発独裁に便乗し、船舶会社がだんだん増えてきて海運公社は古い船舶だけでは競争しきれなくなって廃船とか売船で船乗りの仕事先が減ってくるとこの二人を含めた多くの船員たちがK船舶会社のユニホォムに着替えることになった。
二人はK海運へ移った後、再び同じ船舶に乗船するようになった。2等航海士へ進級し、B号をはじめ、乗船経歴を積んだ後、1等航海士で発令を受け、待機中、釜山の中央洞にある会社に寄ったとき、当直をいっしょにしていた1等舵手に出会った。1舵手もストーキ(英語でstore keeper, 甲板長補)へ昇進したが休暇を終えてからも船が取れなく会社に出て来て人事担当者と口喧嘩をしていた。“アイゴ、初士(1航士)、お久しぶりですね・・・俺、船に乗せてくれませんか?”印象派の顔をしたストーキが1航士に哀願した。人事担当者の海務代理は1航士の2年後輩であり在学中、内務訓練のとき、バットを打ちながら訓練した先・後輩関係だった。“船しらべてみろ”と先輩がいうのに拒否する後輩はいない。配置をしていたら、つい又、同じ船に乗るようになった。(つづき)
これは メッセージ 2908 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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