韓国 堕落の2000年史
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2004/09/09 19:38 投稿番号: [2198 / 3669]
韓国
堕落の2000年史
はじめに
日韓間では、教科書問題をはじめとして歴史認識をめぐる摩擦が後を断たないが、はたして日本人は、どこまで韓国の歴史について知っているだろうか。
韓国は1980年代に民主化が行われ、今では一人当たりの国民所得が中進国の上に達し、民主国家として国際社会の仲間入りをするようになっている。
しかし、韓国の政治・経済・社会・文化は、きわめて特異なものがあって、近代国家と呼び難いものである。韓国社会の内容は、その近代的な装いと異なって、どうしようもない前近代的な仕組みによって支配されている。今日の韓国が病んでいるのは、理不尽な社会であった李朝時代がほとんど改められることなく、そのまま続いているからだ。
李朝の社会がどれほど、おぞましいものであったのか、李朝時代がどのような歴史的な経緯によってもたらされたものか、ということを知らずには、今日の韓国人の心理や、その行動様式を理解することが出来ない。
北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国と称しているが、李氏朝鮮がまさに名前だけを変えて存続しているといえる。文字どおりの虐政が行われており、民主とも、人民とも、まったく無縁である。李朝という下敷きがなければ、北朝鮮のような体制は出現しえなかったろう。
韓国は国際社会に参加してきたから、民主制度の道を採らねばならなかった。国内における民主的覚醒が進んでいるものの、青瓦台として知られる大統領官邸への権力の過度の集中や、法を軽視した人治主義や、収賄機構が深い根を張っているのは、韓国民が李朝の呪いから抜け出すことができないからである。
李朝では、権力がすべてだった。権力の座にすわった者が、暴虐の限りを尽くした。法は権力者によって、好き勝手に用いられた。権力の奪い合いは凄惨を極めた。民衆はただ搾取の対象となった。
権力者は美辞麗句を弄んだが、人命も、道徳も、顧みることがなかった。民衆は過酷な社会のなかで生き延びるために、偽ることが日常の習い性となった。
李朝では役人の目や耳を欺くために、商人の間で反語(ban_o)が用いられた。買う時に「売る(banda)」といい、売る時に「買う(sanda)」と、まったく逆のことをいった。今日の韓国でもいまだに反語的な発想がはびこっている。
かつては高い文化と独立性を保ち、近隣の国からも高徳の民として尊敬を受けていた韓民族が、2000年を経たいま、なぜこうも屈折した精神を持つようになってしまったのか。
韓国民は民族の歴史が、どこで、どう誤ってしまったのか、勇気をもって歴史と直面して、検証しないかぎり、真の民主主義と、明るい未来を手にすることが出来ない。本書がその役に立てば、幸いである。
2001年10月吉日
崔 基鎬
はじめに
日韓間では、教科書問題をはじめとして歴史認識をめぐる摩擦が後を断たないが、はたして日本人は、どこまで韓国の歴史について知っているだろうか。
韓国は1980年代に民主化が行われ、今では一人当たりの国民所得が中進国の上に達し、民主国家として国際社会の仲間入りをするようになっている。
しかし、韓国の政治・経済・社会・文化は、きわめて特異なものがあって、近代国家と呼び難いものである。韓国社会の内容は、その近代的な装いと異なって、どうしようもない前近代的な仕組みによって支配されている。今日の韓国が病んでいるのは、理不尽な社会であった李朝時代がほとんど改められることなく、そのまま続いているからだ。
李朝の社会がどれほど、おぞましいものであったのか、李朝時代がどのような歴史的な経緯によってもたらされたものか、ということを知らずには、今日の韓国人の心理や、その行動様式を理解することが出来ない。
北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国と称しているが、李氏朝鮮がまさに名前だけを変えて存続しているといえる。文字どおりの虐政が行われており、民主とも、人民とも、まったく無縁である。李朝という下敷きがなければ、北朝鮮のような体制は出現しえなかったろう。
韓国は国際社会に参加してきたから、民主制度の道を採らねばならなかった。国内における民主的覚醒が進んでいるものの、青瓦台として知られる大統領官邸への権力の過度の集中や、法を軽視した人治主義や、収賄機構が深い根を張っているのは、韓国民が李朝の呪いから抜け出すことができないからである。
李朝では、権力がすべてだった。権力の座にすわった者が、暴虐の限りを尽くした。法は権力者によって、好き勝手に用いられた。権力の奪い合いは凄惨を極めた。民衆はただ搾取の対象となった。
権力者は美辞麗句を弄んだが、人命も、道徳も、顧みることがなかった。民衆は過酷な社会のなかで生き延びるために、偽ることが日常の習い性となった。
李朝では役人の目や耳を欺くために、商人の間で反語(ban_o)が用いられた。買う時に「売る(banda)」といい、売る時に「買う(sanda)」と、まったく逆のことをいった。今日の韓国でもいまだに反語的な発想がはびこっている。
かつては高い文化と独立性を保ち、近隣の国からも高徳の民として尊敬を受けていた韓民族が、2000年を経たいま、なぜこうも屈折した精神を持つようになってしまったのか。
韓国民は民族の歴史が、どこで、どう誤ってしまったのか、勇気をもって歴史と直面して、検証しないかぎり、真の民主主義と、明るい未来を手にすることが出来ない。本書がその役に立てば、幸いである。
2001年10月吉日
崔 基鎬
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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