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>>金鍾泌

投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/16 09:51 投稿番号: [2027 / 3669]
落選でしたね。

名実ともに三金時代に幕がおりました。

金鍾泌,最後の植民地世代,元KCIA部長。親日派の代表格でしょう。


「最初に日本人という存在を意識したのは,やっぱり七歳ぐらい,一九三三年頃からでしょうね。
  その頃は,百済の古都扶余というところに一家で住んでいたんです。わたしのお父さんというのが,扶余では有力者のひとりで,好むと好まざるとにかかわらず,普通の韓国人よりは日本人との接触が多かったわけですが,わたしの記憶に残っているいちばんはじめの日本人といえば,やっぱり警察署長ということになるでしょうかね。
  お正月なんか,いかめしい服装をした署長さんがわたしの家にやってきて,お父さんと一緒に酒を飲んだりするんです。酒を飲んでいるうちに腰につるしたサーベルが邪魔になってくると,左足を少し動かしては脇へどけるんですが,そのたびにサーベルがガチャガチャと大きな音をたてる。いまでも,その音を鮮明に記憶していますよ。
(中略)
  ところで,わたしのお父さんは日本人との接触は多かったんだけれども,どうやら日本人のことをあまり好きでなかったようでしたよ。(中略)外でちょっとお酒を飲んで帰られたときなど,おれが毎日こんなふうにやっとるのは,好きでやっとるのではない。お前たちを保護するためなんだ,という意味のことをずいぶん聞かされたような気がします。
(中略)
  当時,ぼくたちが通っとった学校は普通学校と呼ばれていたんですが,それとは別に,日本人の子供だけが行く学校で,尋常小学校というのがありましてね。ぼくらは日頃から何となく日本人が面白くないものだから,尋常小学校の子供たちとしょっちゅうケンカをしてました。学校ぐるみというほどのケンカじゃなしに,ひょっと道で行きかうときに,お互いに何かいい合って,それですぐ殴り合いになっちゃうんです。
  騒ぎを聞きつけて日本人の先生がやってくると,ぼくらは蜘蛛の子を散らすようにワッと逃げるんだけれども,運悪く捕まったら最後,何回かほっぺたをたたかれる。こういうことは,しばしばありましたけど,こちら側だけ殴られて,日本人の子供は殴られないんですから,ちょっと反発をもちまして,また道で会うと,この前はなんだというので,またケンカを始めちゃったりする。わたしもよくやりました。
  もちろん,日本人ならすべて悪いというわけでもなくて,いい人もいましたよ。たとえば百済の廃墟を何とか復興させて,遺跡を保存しようと個人的にずいぶん骨を折った日本人も身近におりました。そういうひとたちのことも,小学校のときの印象に強く残ってますね。」
『諸君』1980年4月号,鄭大均『イルボンのイメージ』から引用

  日本人の警察署長をかっこいいと思ってながめていたのかな。
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