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『朴正煕と金大中 私の見た激動の舞台裏』

投稿者: kdm0709 投稿日時: 2004/03/08 21:55 投稿番号: [1913 / 3669]
  朴正煕と闘い続けたジャーナリストの壮絶な記録

  著者・文明子はアメリカ在住の韓国人ジャーナリスト。自ら起こしたUSアジアニュースサービスに所属し、現在ホワイトハウス担当記者。
  1973年8月8日金大中拉致事件が発生。同年10月、テレビカメラに向かい国連総会のレポート送ったその最後、韓国内の報道管制の隙をついて拉致事件を暴露した。同年11月8日 政治亡命を宣言。アメリカでの名前は「ジュリー・ムン」。小説「大地」で知られるパール・バック女史がこの名前を与えた。

  亡命後の著者が送る記事は一切韓国では報道されることはなかった。亡命以前でも、朴正煕が3選を果たす前後から厳しい規制を受けた。
  1969年8月 ニクソン大統領との首脳会談のため朴正煕はサンフランシスコを訪れたが「数十万の市民たちが手に手に太極旗と星条旗を持ち、朴大統領一行を熱烈に歓迎した」と韓国に向けて報道された。「私が見たところでは、サンフランシスコに太極旗は二本しかなかったのに、波のようにはためくですって?」(119頁) 文記者はそのウソ報道にかみついた。
  韓国の在アメリカ大使館、アメリカ国務省、アメリカ議会、文明子をつけねらうKCAI要員、アメリカを訪れた韓国要人、ジャーナリスト仲間、朴正煕反対勢力アメリカ在住者たちと交流しながら取材は続けられていた。その驚くべき事実が本書で克明に"今"伝えられている。

  1979年10月朴正煕が射殺された翌年5月 光州抗争が発生。多くの市民が虐殺された。「私は体が震えた。韓国軍の作戦権を在韓米軍司令官が管轄しているということは、万人周知の事実である。米国の承認なしに韓国軍部隊が光州に赴き、民間人を虐殺できるというのか」(391頁)   文記者は国務省を取材し問いただした。
  1980年、韓国の軍事裁判で金大中は死刑宣告は間違いなく、即決で処刑されることも予想されていた。この危機を救うべく文記者はアメリカから日本、ロンドンへと走り、奇襲作戦を演じた。
  歴史を根底からゆるがす大事件が次から次へと本書で姿を現す。こんなに凄いジャーナリストがいたのかと率直に思った。

  エピソードはここで紹介しきれないくらいに多い。その一つ。金大中の夫人をニクソン大統領夫人パトリシアに面会させようと考えた。韓国大使館や国務省の担当者をだまし、ホワイトハウスの奥地まで入り込まねばならない。パトリシアの執務室前は、「リスの声でも聞こえれば、すぐに発射する態勢」でいる警護チームがガードしていた。ミセス金大中の「季姫鎬女史の手が震えていた」(159頁)

  不倶戴天の敵とまで呼んでいた朴正煕の夫人・陸英修とは"親しい"間柄だった。女性記者らしく表舞台に出ることが少ない夫人たちとの交流も本書を支えている。
  朝鮮問題はもとより、今日の世界情勢や歴史に関心がある方、ジャーナリストとは何かを問いたい方に、本書をお薦めしたい。



http://homepage1.nifty.com/hint-yf/B_chosentonihon.htm
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