★朝鮮通信使ブーム、再び!!

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朝鮮通信使 揮毫の扁額

投稿者: ryuhej_sprite 投稿日時: 2009/06/04 19:10 投稿番号: [2460 / 2503]
朝鮮通信使   揮毫の扁額   左京・金戒光明寺塔頭の栄摂院
6月4日14時39分配信
  京都市左京区の金戒光明寺塔頭(たっちゅう)・栄摂院(えいしょういん)にある朝鮮通信使が揮毫(きごう)したとされる扁額は、17世紀中ごろに通信使を接待した彦根藩家老木俣守安を通じて同院にもたらされたとみられることが、京都造形芸術大の仲尾宏客員教授の調査でこのほど分かった。栄摂院が木俣家の菩提寺(ぼだいじ)として建てられたことが縁のよう。通信使随行員が揮毫した扁額は日本各地に残っているが、京都市内で確認されたのは珍しい。
  ■京都造形芸術大客員教授が確認
  同院の扁額の存在は知られていたが、詳しい由来は不明だった。縦58センチ、横120センチの大きさで「栄攝院」「崇禎癸末中秋   朝鮮國信使」と記されている。仲尾客員教授の調べで、江戸時代以降、計12回あった通信使のうち、1643(寛永20)年に実施された第5回の時のものだと判明した。朱印で刻字された二つの印章には、竿堂、君澤の文字があり、号と字(あざな)が通信使従事官の申濡のそれと符合した。
  ■彦根藩家老   木俣守安   仲介か
  この通信使が訪れた折、一行が彦根の城下で同藩により格別の供応を受けたことは、通信使の副使や申濡らが残した文書などから明らかになっていた。仲尾客員教授は「この応接の際、家老の木俣守安が寺名を紙に揮毫してもらい、それを扁額に写したのではないか。朝鮮通信使による扁額は京都市内には数例しかない」という。
  また、各地に残る扁額や文書などから、前回(4回目)の通信使(1636年)のころから、立ち寄った地の文人らが随行員たちに詩文や墨跡を求めるケースが急増していることが分かっている。仲尾客員教授は「そうしたことを想定していたのか、通信使があらかじめ本国から印章を持参していたことが注目される」と話している。
  栄摂院の戸川明弘住職は「なぜここにあるのか分からなかったが、歴史がつながってうれしい。木俣守安の寺への深い思いが伝わる」と喜んでいる。

さすが、達筆ですね。文明の奥深さを感じます。
日本の国民がこぞって揮毫をねだったのも当然ですね。
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