★朝鮮通信使ブーム、再び!!

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そりゃ韓国国定教科書だけの話

投稿者: y_scale2002 投稿日時: 2004/12/17 10:22 投稿番号: [182 / 2503]
なんで、日本から行かずに来させられたか分かるか?

しかも当時、朝鮮は独立国じゃなく、あくまで清の属国としての扱いでしかないから。で、結局、四拝礼をさせられていたんだぞ。






従事官の書記金仁謙は、小童の死で何かを思ったのであろう。江戸城での公式行事の出席を拒んだ。その理由を『日東壮遊歌』では次のように述べている。

  「国書伝達のときを迎える。使臣方は朝服を召され、軍官らは軍服、文士訳官は官服に身を整える。使臣方の輿が従卒らに担がれ、笛や太鼓を打ち鳴らし、清道旗を持った騎乗の旗手六人と行進するが、私はひとりつらつら考えた末、儒者の身として、いたずらに城内に入り、関白(将軍)に四拝するなど、この上ない恥辱と思い、参列は取り止め休むことにする」

  この四拝礼に関しては、日朝間で激しい論議がたたかわされた。

  四拝礼とは臣下の礼をとることであるから承服できないというのが、朝鮮側の言い分であった。しかし日本側も使臣は王にあらず、臣であるとゆずらなかった。結局は朝鮮側が折れて、江戸城での四拝礼は日本の将軍に対するのではなく、将軍の横に置かれた朝鮮国王の国書に対して四拝礼するのだと、自らを納得させて折り合ったのである。

  四拝礼は八代将軍吉宗のときに慣例になったようだが、この意地の張り合いを見事破ってみせた将軍がいる。病弱といわれた九代将軍家重で、彼は同じ盃で酒のやりとりをし、三使を感激させたそうだ。金仁謙はそれから十六年後に来日した使節なのであった。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/chosen/chapter5/01chosen.htm

http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=961565&work=search&st=writer&sw=hwabyungboys&cp=4
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