Re: 日東荘遊歌は韓国では有名なの?
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2007/10/17 14:48 投稿番号: [1457 / 2503]
ウワー!!!!韓国の歴史教科書突っ込み所満載ですね。
嘘のオンパレード。しかし、これ程事実を捻じ曲げた歴史教科書ってあるのかな。
日東荘遊歌は歴史教科書と全く異なる内容なので載せるはずも無いですね。
では、第一弾経済面から
>壬辰倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係をは断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。ために戦乱後成立した日本の徳川幕府は、先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するように朝鮮に懇請した。
徳川幕府が経済的に豊かであった事は日東荘遊歌に多く書かれています。貧乏であったのは朝鮮。
対馬藩は豊かな産物が無いため必死になって徳川幕府へ朝鮮との貿易を願い出て貿易で大きな利益を得た。他方、日本との貿易で大量の銀を得ていた朝鮮は、日本と貿易をしなければ清への朝貢や私貿易で使う銀に不足し、ますます貧乏国になる状況だった。
対馬藩を除けば、日本は朝鮮と外交関係を持つことに何の利益もなかった。日本と清とは直接貿易関係があり、長崎の唐人屋敷やその周辺に中国人が滞在していた。黄檗宗の僧侶を始め、絵師、学者などの文化人も来日しており中国文化は、朝鮮経由でなくても直接、恒常的に入ってきていた。
当時は日本が世界一の銀の産出国で、清国は自国通貨に必要な銀を日本より直接買付けていた。別に朝鮮へ銀を売る必要も無かった位日本は裕福でした。
何故徳川幕府が朝鮮通信士を受け入れたかというと、朝鮮通信使を「朝貢使」として、大名や民衆に見せることで、幕府の権威付けに利用した訳です。
リチャード・コックス(Richard Cocks1623年の閉館まで平戸のイギリス商館長)の日記には、「ある人々(それは庶民であるが)は、彼ら(朝鮮通信使)が来たのは臣従の礼を表し、貢物を献上するためで、もしそうしないと皇帝(将軍)は再び彼らに対して戦争を仕掛けたであろうと噂している」1617年8月31日の記述。庶民まで朝鮮通信使を朝貢使とする見方は、既に1617年の第2次朝鮮通信使の来日頃にはあり、それは、神功皇后の三韓征伐や秀吉の朝鮮出兵と結びつきながら、一般向けの書物を通して庶民の間に急速に広まったためである。
これは メッセージ 1456 (melancholy_night さん)への返信です.
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