「先進文化伝えた異色の通信使行列の再現
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/06/15 13:56 投稿番号: [1250 / 2503]
大垣市立郷土館
岐阜県大垣市は通信使が名古屋に行く途中で1泊した都市だ。当時賑やかな交通の要衝だったここには朝鮮山車という山車と飾りなどおもしろい遺物が残っている。
山車は日本各地で開かれる祭りで使うもので、地方ごとに特色ある飾りをする。この村には通信使の行列を再現、朝鮮時代高官の衣服そのままの人物像や旗などで装飾した山車が伝わる。
1964年、この遺物が初めて発見されたときは小さな騒動があった。竹嶋という村の古い倉庫で発見されたが、村の人々は初めはこれを隠そうと思ったという。当時、通信使を朝鮮の朝貢使節として見下す明治天皇時代以降の偏見が強く残っていた。したがって派手な飾りや遺物が朝鮮から渡って来たものだとして公開することを憚ったというのだ。
以後、通信使に対する研究が進捗し、テレビなどでも紹介された。今は大垣市立郷土館の重要な展示品目となり、関連展示会も開かれている。大橋和義郷土館長は「当時大垣の人々が通信使の行列を観察し、高い絹で衣服を再現して人形を作るなど真心を込めて迎えた」とし「先進文化を伝え、風変わりな通信使の行列を記念したもの」と説明した。
通信使が行き交った道からやや離れている滋賀県高月には雨森という村がある。18世紀初め、韓日外交関係で重要な役割を担い、1711、1719年の通信使で日本側案内役を務めた雨森芳洲の故郷だ。ここには書院または東アジア交流ハウスと呼ばれる記念館が残っている。
平井茂彦館長は「雨森は相手(朝鮮)に対する強く尊重し、通信使一行には自分の祖国である日本の文化を伝え尊重することを要求するなど外交官の姿勢を忘れなかった」と話す。この記念館のように日本では通信使とかかわる跡に再びスポットを当て、発見された遺物を保存する努力が活発だ。
「両国友好関係築いた親善使節」
日本、侵略正当化のために隠ぺい
通信使研究の大家、仲尾宏教授
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=87843&servcode=400§code=400
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