日清戦争
投稿者: jalopy2005 投稿日時: 2012/10/15 22:56 投稿番号: [5403 / 5950]
戦端は明治27年7月25日、仁川の南、豊島沖で開かれた。
日本艦は支那巡洋艦・済遠の砲撃を受け、応射し相手艦の1隻を擱座させた。さらに支那兵を輸送中の英船籍船・高しょう号も撃沈した。
陸戦はその豊島の奥、牙山で4日後に始まり、支那将兵500人を倒して北に向けて進撃を始めた。
9月15日には支那軍の拠点平壌に至るが、これも半日で落とした。
そこまでたった2ヶ月だが、司令官・山県有朋は緊急の「訓示」を出している。
支那人は「極めて残忍の性を有せり。もし生きん(捕虜)に遭わば必ず酷虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって」殺される。だから生きんされないよう「むしろ潔く一死を遂げ日本男児の名誉を全うすべし」と。
いかなる惨毒か。支那事変の頃、不時着した満州航空操縦士が支那人に捕まる。救助隊が駆けつけると「胸まで土中に埋められて耳鼻は削がれ、顔の皮が剥がされ、両眼はくり抜かれ、針金が通してあった」そして最後に埋める前に切り取った陰茎を口に押し込んで窒息死させる。
殺すまでに何時間でもかける。まるで楽しんでいるように・・・
(先週の「週刊新潮」より)
もし日本が蛮族国家・清をやっつけてくれなかったら、朝鮮はずっと清の属国だったんだろうな。もちろん今も中国の一部。
文化革命のときは、朝鮮人も支那人に負けないほど暴れまくってたんだろうな。
チョンカン氏よ!ありがとう!
貴殿のじいちゃんたちは、ほんとに偉かった!感謝!感謝!
それにしても、恩を仇で返す朝鮮野郎どもったら・・・
申し訳ねえ、面目ねえ。
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