平頂山事件
投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2009/05/07 16:05 投稿番号: [17580 / 19672]
某所で出ましたが
本来カテズレなのでこっちで(笑)
平頂山事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%A0%82%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
事件の誘因となったのは、1932年9月15日の反満抗日ゲリラ「遼寧民衆自衛軍」による、撫順炭鉱襲撃である。この背景には、満州国の建国宣言(1932年3月1日)以来活発化していた、反満抗日運動の存在がある。この襲撃で、日本側は、炭鉱所所長含む死者5名、負傷者6名、総額21万8,125円の被害を受けたと伝えられる。
撫順守備隊は、襲撃事件の報復として、平頂山集落がゲリラと通じていたとの判断の下に集落を包囲、掃討を行なった。掃討の方法は、平頂山部落の、その時部落にいたほぼ全住民(女性・子供・赤ん坊を含む)を集めて機関銃を掃射し、それでも死ななかったものを銃剣で刺し、殺害した死体には重油をかけて焼却するというものである。その後、崖をダイナマイトで爆破して死体を土石の下に埋めたが、これは事件を隠蔽するためと見られている。
虐殺人数については諸説があり、中国側は、発掘死体の数などを根拠に3,000人を主張している。また、守備隊の中隊長であった川上精一大尉の親族である田辺敏雄氏は、自著の中で、虐殺に参加した兵士の証言などをもとに犠牲者数を400-800人と推定している。なお当時、平頂山集落の人口は約1,400人、犠牲者数600人前後とする資料もある。ジュネーヴでの国際連盟理事会では、中国側の被害者は死者700、重傷6〜70、軽傷者約130名と報告されている。
>撫順守備隊は、襲撃事件の報復として、
この「報復として」の一文の取り扱いで いかにも戦争犯罪に聞こえるようになっているのがミソです
例えば 正統な犯罪者追捕に対して 村民が武器を持って抵抗したのかも判らないです
しかも戦犯裁判では 軍関係者は裁かれて居らず むしろ報復として 炭坑関係者を
11人中7人を死刑にしております
これこそまさに 口封じ
たぶん 無関係として釈放された4人は
その当時のことを全く知らない 後から炭坑に赴任した人達ではないでしょうか
軍関係者からはこの一件について特に何事も発表されて居らず
中隊長の親族と名乗る人が 何か書いたようですが…
問題なのは この事件について触れた書籍類は殆ど全て
本多勝一 『中国の旅』 朝日新聞社 1972年 / 朝日文庫 朝日新聞社 1981年12月 ISBN 4-02-260805-6
の発表の後の書籍しかない!
と言うことでしょう(笑)
平頂山事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%A0%82%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
事件の誘因となったのは、1932年9月15日の反満抗日ゲリラ「遼寧民衆自衛軍」による、撫順炭鉱襲撃である。この背景には、満州国の建国宣言(1932年3月1日)以来活発化していた、反満抗日運動の存在がある。この襲撃で、日本側は、炭鉱所所長含む死者5名、負傷者6名、総額21万8,125円の被害を受けたと伝えられる。
撫順守備隊は、襲撃事件の報復として、平頂山集落がゲリラと通じていたとの判断の下に集落を包囲、掃討を行なった。掃討の方法は、平頂山部落の、その時部落にいたほぼ全住民(女性・子供・赤ん坊を含む)を集めて機関銃を掃射し、それでも死ななかったものを銃剣で刺し、殺害した死体には重油をかけて焼却するというものである。その後、崖をダイナマイトで爆破して死体を土石の下に埋めたが、これは事件を隠蔽するためと見られている。
虐殺人数については諸説があり、中国側は、発掘死体の数などを根拠に3,000人を主張している。また、守備隊の中隊長であった川上精一大尉の親族である田辺敏雄氏は、自著の中で、虐殺に参加した兵士の証言などをもとに犠牲者数を400-800人と推定している。なお当時、平頂山集落の人口は約1,400人、犠牲者数600人前後とする資料もある。ジュネーヴでの国際連盟理事会では、中国側の被害者は死者700、重傷6〜70、軽傷者約130名と報告されている。
>撫順守備隊は、襲撃事件の報復として、
この「報復として」の一文の取り扱いで いかにも戦争犯罪に聞こえるようになっているのがミソです
例えば 正統な犯罪者追捕に対して 村民が武器を持って抵抗したのかも判らないです
しかも戦犯裁判では 軍関係者は裁かれて居らず むしろ報復として 炭坑関係者を
11人中7人を死刑にしております
これこそまさに 口封じ
たぶん 無関係として釈放された4人は
その当時のことを全く知らない 後から炭坑に赴任した人達ではないでしょうか
軍関係者からはこの一件について特に何事も発表されて居らず
中隊長の親族と名乗る人が 何か書いたようですが…
問題なのは この事件について触れた書籍類は殆ど全て
本多勝一 『中国の旅』 朝日新聞社 1972年 / 朝日文庫 朝日新聞社 1981年12月 ISBN 4-02-260805-6
の発表の後の書籍しかない!
と言うことでしょう(笑)
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