山本五十六で一服汁
投稿者: licky_etozero 投稿日時: 2008/12/10 20:40 投稿番号: [17001 / 19672]
http://www.volks.co.jp/jp/sengoku_lance/isoroku.html
あ゛っ
これは間違い…
山本五十六の「述志」発見=「対米英戦争に苦悩や覚悟」−原本2通、親友遺族宅で
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200812/2008120100883&rel=y&g=soc
太平洋戦争開戦時の山本五十六・旧海軍連合艦隊司令長官(1884−1943)の遺書とみられる文書「述志」の直筆原本2通が、親友だった大分県出身の海軍中将堀悌吉の遺族宅=東京都=にあった遺品の中から見つかった。大分県教委が1日、発表した。
述志は研究者や海軍関係者によって存在や内容が紹介されていた。山本長官は対米英戦争にある時期まで消極的だったとされるが、平時に書かれた1通には、それを裏付けると解釈できる部分があり、県教委は「反対した戦争の指揮を執ることになった山本長官の深い苦悩や覚悟を表している」と説明している。
1通は1939年5月31日付。日独伊三国軍事同盟締結(40年)の前年で、「俗論を排し斃(たお)れて後已むの難きを知らむ」(俗論に反対して倒れるまで続けることは容易なことではない)、「此(この)身滅すへし此志奪ふ可からす」(自分は死んでもいいが、志は誰も奪ってはならない)とある。
同県立先哲史料館は「俗論は対米英戦や3国軍事同盟のことで、志はそれらに反対する意味」と説明する。
もう1通は41年12月8日付。ハワイ真珠湾攻撃に踏み切った開戦日に「大君の御盾とただに思ふ身は名をも命も惜しまさらなむ」(天皇陛下の盾となる立場であるがゆえに名も命も惜しみません)と歌を詠んでいる。同長官は短期決戦で対米英戦勝利を図る考えに変わっていたとされる。
述志は、堀中将と山本長官との書簡類など関係資料の中から発見された。同史料館は6日から14日まで述志など一部資料を展示する。来年夏には山本五十六記念館(新潟県長岡市)での展示も計画されている。(2008/12/01-23:13)
これは メッセージ 16999 (ricky_eto さん)への返信です.
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