我があかん先輩たち
投稿者: jalopy2005 投稿日時: 2012/04/25 21:30 投稿番号: [477 / 1605]
1921年6月25日午後6時、培材学堂のグラウンドで行われた少年野球大会の決勝戦で思わぬ「猛風怪雨」が吹き荒れた。このため、優勝旗はズタズタに千切られ、棒は折られ、人を叩く武器と化した。
この大騒動は、城西学校が培材を5対3で破り優勝すると、培材側から城西に不正選手がいると抗議しているうちに急に観客に対し男女老若を問わず殴る蹴るの暴行を働いたというのがその真相である。数十人の負傷者が出たこの騒ぎは、西大門警察署が出動することによって、ようやく鎮圧された。
今後、培材の学生諸君には、スポーツ試合は勿論のこと音楽会、講演会、討論会等、あらゆる集会への参加を禁ずるという措置が取られた。(朝鮮日報1921年6月27日付)
朝鮮日報は社説「培材学堂の暴行」と寄稿「培材か培災か」で叱咤し、7月26日からの9回シリーズの記事で事件の真相を明らかにし、競技場内の暴力の根絶のための対策を論じた。
おそらく、応援団どうしで集団喧嘩になったって話じゃないかな?仕掛けたのは勿論我が先輩たちだろうけど。近くの京城一中(倭系学校)の連中をよく痛めつけてたって話は有名だが。
実は、わしらの時もこんなんがちょいちょいありまして・・・どんだけ古いワルの伝統や。
余談ですが、わしらの何年くらいの先輩たちだったかな、修学旅行で慶州に行ったとき、地元の新聞に載るくらい、集団でめちゃくちゃなことをしてくれたお陰で、それ以来、我が校には修学旅行ナシ。今はどうか知らんが。
李●晩(一期生)が南朝鮮の親分だったときが全盛期だったらしい。
これは メッセージ 464 (jal*py*005 さん)への返信です.
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