Re: 安全削除のつもりニダ
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/03/15 06:43 投稿番号: [228 / 1039]
イルは確か身長180以上だったのでは?
周りの人達、みんな大きいんですねえ。(笑)
あの風体はまさしく
マイケル・ダグラスに店を壊される鮮人そのもの!!!
ところで・・・私の拾い物
命懸けの航海〰
イランとイラクの戦争の時、ペルシャ湾は戦争の砲火により殺伐な光景だった。イラクの唯一の港であるバスラ港は、イランの攻撃により港の施設が破壊され、船を接岸できる状況ではなかった。これに恨みを持ったイラクは、イラン港に入港する外国の船まで無差別に攻撃し始めた。それにより外国の海運労働組合では、ペルシャ湾行きを中止するようになった。
日本を始めとする、いわば先進国と呼ばれている国々では、他の国の船に荷物を積み込んだり、ペルシャ湾入り口にあるアブダビの町に荷物を降ろして帰る事になった。日本の船は、国旗を船の両側に大きく書いて中立国である事を知らせ、アブダビで荷物を降ろしそのまま帰った。問題は、国力の弱い第3世界の国の船だった。他の船がペルシャ湾入り口に降ろしていった荷物を、命懸けでペルシャ湾まで運ばなければならなかった。
設立したばかりのある海運会社では、資本金が不足していたため、荷物を運ばない訳にはいかなかった。ペルシャ湾行きを命令されたあの船の船長は、航海士7年目で船長になった人で、商船学校の同級生の中では昇進が早い方だった。彼は船員を集合させ、ペルシャ湾航海計画を立てた。当番の航海士と船員を除いたすべての船員が、船の両側に砂袋を大人の背の高さ位まで積んだ。まるで軍隊の障壁のようだった。全船員が障壁の隣に救命服を着て待機した。そして機関室の船員達も、当番を除いた全ての者が、機関室の入り口の所で待機していた。
slow ahead 速力(航海用語で低速力で前に進む事を意味する)のエンジン音だけが、不気味な沈黙を破り鳴り響いていた。緊張の中で航海が終わり、イラン港に着いた時には船員達は死の影から救われたと心から安心した。皆何も食べず、眠れなかったのでそのまま寝室に倒れ込むように眠った。問題は出港時だった。
非常待機命令に従い、入港時と同じく待機し始めてから1時間後、現地の時間で昼の12時を少し回った頃、突然ブーンという音と共に、運転室のすぐ下にある4番倉の床にミサイルが飛んできて爆発した。ものすごい大きい爆発音と共に火の手が上がった。同時に運転室の床が割れ、炎と油が上がってきた。その時、運転室にいた船長と当番だった2等航海士は、その炎に巻き込まれてしまった。驚いた船員達は、慌ててバケツに水を汲んできて掛けたが、すでに遅かった。彼らは全身に火傷を負い、意識を失っていた。しばらくして、船長の意識が戻った時、彼は”俺はもう駄目だ・・・。後を頼む。”という遺言を残して息を引き取った。その時2等航海士は、もう既に息をしてなかった。
彼はその時24歳で、1ヶ月前に結婚したばかりだった。この文の筆者である私とは親友で、大学時代にはナンパをするのが好きで、よく一緒に釜山の南浦洞と言う所に行って、女を誘って遊んだりした思い出がある。あの世に早く行ってしまうことを知っていたのだろうか、彼はそのぐらい多くの女をほしがっていたものだ。
周りの人達、みんな大きいんですねえ。(笑)
あの風体はまさしく
マイケル・ダグラスに店を壊される鮮人そのもの!!!
ところで・・・私の拾い物
命懸けの航海〰
イランとイラクの戦争の時、ペルシャ湾は戦争の砲火により殺伐な光景だった。イラクの唯一の港であるバスラ港は、イランの攻撃により港の施設が破壊され、船を接岸できる状況ではなかった。これに恨みを持ったイラクは、イラン港に入港する外国の船まで無差別に攻撃し始めた。それにより外国の海運労働組合では、ペルシャ湾行きを中止するようになった。
日本を始めとする、いわば先進国と呼ばれている国々では、他の国の船に荷物を積み込んだり、ペルシャ湾入り口にあるアブダビの町に荷物を降ろして帰る事になった。日本の船は、国旗を船の両側に大きく書いて中立国である事を知らせ、アブダビで荷物を降ろしそのまま帰った。問題は、国力の弱い第3世界の国の船だった。他の船がペルシャ湾入り口に降ろしていった荷物を、命懸けでペルシャ湾まで運ばなければならなかった。
設立したばかりのある海運会社では、資本金が不足していたため、荷物を運ばない訳にはいかなかった。ペルシャ湾行きを命令されたあの船の船長は、航海士7年目で船長になった人で、商船学校の同級生の中では昇進が早い方だった。彼は船員を集合させ、ペルシャ湾航海計画を立てた。当番の航海士と船員を除いたすべての船員が、船の両側に砂袋を大人の背の高さ位まで積んだ。まるで軍隊の障壁のようだった。全船員が障壁の隣に救命服を着て待機した。そして機関室の船員達も、当番を除いた全ての者が、機関室の入り口の所で待機していた。
slow ahead 速力(航海用語で低速力で前に進む事を意味する)のエンジン音だけが、不気味な沈黙を破り鳴り響いていた。緊張の中で航海が終わり、イラン港に着いた時には船員達は死の影から救われたと心から安心した。皆何も食べず、眠れなかったのでそのまま寝室に倒れ込むように眠った。問題は出港時だった。
非常待機命令に従い、入港時と同じく待機し始めてから1時間後、現地の時間で昼の12時を少し回った頃、突然ブーンという音と共に、運転室のすぐ下にある4番倉の床にミサイルが飛んできて爆発した。ものすごい大きい爆発音と共に火の手が上がった。同時に運転室の床が割れ、炎と油が上がってきた。その時、運転室にいた船長と当番だった2等航海士は、その炎に巻き込まれてしまった。驚いた船員達は、慌ててバケツに水を汲んできて掛けたが、すでに遅かった。彼らは全身に火傷を負い、意識を失っていた。しばらくして、船長の意識が戻った時、彼は”俺はもう駄目だ・・・。後を頼む。”という遺言を残して息を引き取った。その時2等航海士は、もう既に息をしてなかった。
彼はその時24歳で、1ヶ月前に結婚したばかりだった。この文の筆者である私とは親友で、大学時代にはナンパをするのが好きで、よく一緒に釜山の南浦洞と言う所に行って、女を誘って遊んだりした思い出がある。あの世に早く行ってしまうことを知っていたのだろうか、彼はそのぐらい多くの女をほしがっていたものだ。
これは メッセージ 222 (doronpa95 さん)への返信です.
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