川島洋子関連のスレ 2
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/01/19 21:29 投稿番号: [466 / 1474]
(つづき)
「平和の礎 海外引揚者が語り継ぐ労苦12」(平成14年 平和祈念事業特別基金発行)
8月15日(終戦日)を境にして、それこそ天地がひっくり返ったようになり、いく先の運命は段々と暗くなっていった… 文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。私たち文坪在住の日本人も、このままでは危ない、何か対策をたてないとということで相談を始めたところに、朝鮮保安隊(朝鮮人による警備隊)から指示があった。その内容は、「日本人は町中の一ヵ所に集め、集団生活をさせることとなった。2世帯か3世帯が一緒になって同居のような形になる」というような内容だった。態度を豹変させた保安隊員は、指示により他に移り住む人々を、まるで囚人を追い立てるかのように家から追い立てていた。まだ移転する準備もできずに家財道具も整理していないのに、小銃などで追い出していた。私の家も追い立てられて、よその人の家に同居することになった。
ソ連兵や保安隊員の傍若無人ぶりは、相変わらずであった。女性に対する暴行事件も後を絶えず、暴行を受けた人の中には自ら死を選んだ人も多かった… 死者が出ても葬式をだせるはずもない… なんとかしなければと有志の人たちが、保安隊の幹部に申し入れてやっと許可を得た… 深さ1.5メートル、幅2.5メートルぐらいの穴を掘り、そこに山から風倒木を運んできて薪をつくり、それを土の上に敷き並べて、さらにその上に遺体を数体ずつ置き、石油をかけて四方から火をつけて荼毘(だび)に付した。 家族の者や作業をしていた人だけが手を合わせて野辺の送りをしたが、運命とはいえ、悲しく、かつわびしい有り様でした… 保安隊では、お骨を持って帰ることを許さなかった。噂話で聞くところによると、遺体が灰になった後、金歯などの貴金属を探して持っていったということだった。
第三國人の暴行
「 表題の件に付ては既に一通り書き終えた心算であったが、本日郷土、城東葛飾に赴いたところ、偶々老人達が本件を論じてゐた 中にも地方議員たる七十翁の回顧は愚生の筆より数段迫力有りし故、帰宅早々記憶により再現し、此処に記して御歴々の御参考に資せむとするものである
-- - 録取者 北斗星 -- -
終戦後の第三國人どもは本當に酷かった 軍の兵器を盗んで來たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、實力犯を中心にあらゆる悪事を重ねてゐた」
田岡一雄山口組組長の回顧録(「山口組三代目 田岡一雄自伝」より転載)
「一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の男たちだった・・・(中略)
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲 食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを 首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯 を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には目にあまるものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げ られ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
投稿者 不動明部長 : 2006年06月15日 23:15
私は満州引き揚げ者の孫ですが、朝鮮半島での引き揚げ者に対する朝鮮人の非道を語り継ごうと考えています。
女性に対する拉致・強姦、強盗・殺人その他ありとあらゆる非道を受けて日本人は満州から引き上げてきました。
ロシア人からの被害をマスコミでは目にしますが、朝鮮人もかなり行っています。
祖父母はロシアに対しては何も言いませんが、朝鮮人だけは許す事が出来ないと言っています。
http://blog.nikkansports.com/general/yoshida/2006/06/post_72.html
(つづく)
「平和の礎 海外引揚者が語り継ぐ労苦12」(平成14年 平和祈念事業特別基金発行)
8月15日(終戦日)を境にして、それこそ天地がひっくり返ったようになり、いく先の運命は段々と暗くなっていった… 文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。私たち文坪在住の日本人も、このままでは危ない、何か対策をたてないとということで相談を始めたところに、朝鮮保安隊(朝鮮人による警備隊)から指示があった。その内容は、「日本人は町中の一ヵ所に集め、集団生活をさせることとなった。2世帯か3世帯が一緒になって同居のような形になる」というような内容だった。態度を豹変させた保安隊員は、指示により他に移り住む人々を、まるで囚人を追い立てるかのように家から追い立てていた。まだ移転する準備もできずに家財道具も整理していないのに、小銃などで追い出していた。私の家も追い立てられて、よその人の家に同居することになった。
ソ連兵や保安隊員の傍若無人ぶりは、相変わらずであった。女性に対する暴行事件も後を絶えず、暴行を受けた人の中には自ら死を選んだ人も多かった… 死者が出ても葬式をだせるはずもない… なんとかしなければと有志の人たちが、保安隊の幹部に申し入れてやっと許可を得た… 深さ1.5メートル、幅2.5メートルぐらいの穴を掘り、そこに山から風倒木を運んできて薪をつくり、それを土の上に敷き並べて、さらにその上に遺体を数体ずつ置き、石油をかけて四方から火をつけて荼毘(だび)に付した。 家族の者や作業をしていた人だけが手を合わせて野辺の送りをしたが、運命とはいえ、悲しく、かつわびしい有り様でした… 保安隊では、お骨を持って帰ることを許さなかった。噂話で聞くところによると、遺体が灰になった後、金歯などの貴金属を探して持っていったということだった。
第三國人の暴行
「 表題の件に付ては既に一通り書き終えた心算であったが、本日郷土、城東葛飾に赴いたところ、偶々老人達が本件を論じてゐた 中にも地方議員たる七十翁の回顧は愚生の筆より数段迫力有りし故、帰宅早々記憶により再現し、此処に記して御歴々の御参考に資せむとするものである
-- - 録取者 北斗星 -- -
終戦後の第三國人どもは本當に酷かった 軍の兵器を盗んで來たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、實力犯を中心にあらゆる悪事を重ねてゐた」
田岡一雄山口組組長の回顧録(「山口組三代目 田岡一雄自伝」より転載)
「一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の男たちだった・・・(中略)
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲 食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを 首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯 を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には目にあまるものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げ られ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
投稿者 不動明部長 : 2006年06月15日 23:15
私は満州引き揚げ者の孫ですが、朝鮮半島での引き揚げ者に対する朝鮮人の非道を語り継ごうと考えています。
女性に対する拉致・強姦、強盗・殺人その他ありとあらゆる非道を受けて日本人は満州から引き上げてきました。
ロシア人からの被害をマスコミでは目にしますが、朝鮮人もかなり行っています。
祖父母はロシアに対しては何も言いませんが、朝鮮人だけは許す事が出来ないと言っています。
http://blog.nikkansports.com/general/yoshida/2006/06/post_72.html
(つづく)
これは メッセージ 465 (toapanlang さん)への返信です.
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