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『玄海灘密航』

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/27 00:12 投稿番号: [367 / 1474]
随筆・短編
『玄海灘密航』
金史良
初出:「文芸首都」1940(昭和15)年8月号
http://www.aozora.gr.jp/cards/000252/files/1399_20773.html

なお、前年、ほぼ同内容の朝鮮語の随筆「密航」が朝鮮日報社の雑誌「朝光」に本名(金時昌)で発表されている。1931(昭和6)年、平壌高等普通学校在学中に反日学生闘争の首謀者とされ退学になった著者が北京への留学を志したがかなわず、釜山から日本へ密航を計画した時の心境を綴っている。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000252/card1399.html

『故郷を想う』
金史良
初出:「知性」1941(昭和16)年5月号
http://www.aozora.gr.jp/cards/000252/files/1400_20807.html

金 史良
きむ さりゃん
Kim Sa-riang。1914(大正3)年3月3日、日本の統治下の朝鮮、平壌(ピョンヤン)の裕福な家庭に生まれる。本名は金時昌。1931(昭和6)年、平壌高等普通学校五年生に在学中、朝鮮各地で起こっていた反日学生闘争に呼応する同盟休校事件に関与し、退学となる。その後、日本に渡り、旧制佐賀高等学校に入学したころから、執筆活動を開始。東京帝国大学卒業と相前後して執筆した「光の中に」が 1940(昭和15)年前期の芥川賞候補作となる。東京帝国大学文学部を卒業し、大学院に入学が許可されるまでの短い間、ソウルで朝鮮日報社に学芸部記者として勤務していた時、執筆された。
金史良は東京帝大在学中、「無産市民の救済および向上を計り、教育の機会を提供」することを目的として学生や教官有志が本所(江東区)に設立した帝大セツルメントの活動に参加していたほか、共産主義的な傾向をおびていた朝鮮芸術座という劇団関係者の一人として、3ヶ月間、警察に拘束を受けている。
1941(昭和16)年12月、日米開戦とともに拘束、翌年、釈放後、朝鮮に帰る。1945(昭和20)年春、日本軍に徴用された朝鮮出身兵の慰問団の一員として中国に赴いた際、脱出し、朝鮮義勇軍に参加。1950(昭和25)年、朝鮮戦争が勃発し、アメリカ軍の上陸に遭って朝鮮人民軍が撤退する中、持病の心臓病が原因で行方不明となり、死亡したと推定されている。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000252/card1399.html
http://www.aozora.gr.jp/cards/000252/card1398.html
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