朝鮮通信使履歴
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/10/15 00:22 投稿番号: [356 / 1474]
朝鮮通信使履歴
回数 年 目的・名称等
第一回 1607年(慶長12年) 回答兼刷還使
第二回 1617年(元和3年) 回答兼刷還使
第三回 1624年(寛永元年) 回答兼刷還使・家光襲封祝賀
第四回 1636年(寛永13年) 通信使として派遣
第五回 1643年(寛永20年) 家綱誕生祝賀
第六回 1655年(明暦元年) 家綱襲封祝賀
第七回 1682年(天和2年) 綱吉襲封祝賀
第八回 1711年(正徳元年) 家宣襲封祝賀
第九回 1719年(享保4年) 吉宗襲封祝賀
第十回 1748年(寛延元年) 家重襲封祝賀
第十一回 1764年(明和元年) 家治襲封祝賀
第十二回 1811年(文化8年) 家斉襲封祝賀(対馬に差し止め)
通信使忘れた頃にやって来る。
朝鮮通信使?朝貢団?
http://photo.jijisama.org/Ttsusin.html
ではお約束をば。
金仁謙『日東壮遊歌』(東洋文庫662・平凡社)
江戸時代の1764年(明和元年)に第11次朝鮮通信使として来日した金仁謙が書いた記録(原文はハングル)。
1月22日(大阪)
「美濃太守の宿所の傍らの 高殿にのぼり四方を眺める 地形は変化に富み人家もまた多く 百万戸ほどもありそうだ我が国の都城の内は東から西に至るまで一里といわれているが 実際は一里には及ばない富貴な宰相らでも百間をもつ邸を建てることは御法度屋根を全て瓦葺にしていることに感心しているのに大したものよ倭人らは千間もある邸を建て中でも富豪の輩は銅を以って屋根を葺き黄金を以って家を飾り立てているその奢侈は異常なほどだ南から北に至るまで ほぼ十里といわれる土地はすべて利用され人家、商店が軒を連ねて立ち並び中央に浪華江(淀川)が南北を貫いて流れている天下広しといえこのような眺めまたいずこの地で見られようか北京を見たという訳官が一行に加わっているがかの中原の壮麗さもこの地には及ばないというこの良き世界も海の向こうより渡ってきた穢れた愚かな血を持つ獣のような人間が世の興亡と関わりなくひとつの姓を伝えて来て人民を次第に増えこのように富み栄えているが知らぬは天ばかりなり 嘆くべし恨むべしである」
回数 年 目的・名称等
第一回 1607年(慶長12年) 回答兼刷還使
第二回 1617年(元和3年) 回答兼刷還使
第三回 1624年(寛永元年) 回答兼刷還使・家光襲封祝賀
第四回 1636年(寛永13年) 通信使として派遣
第五回 1643年(寛永20年) 家綱誕生祝賀
第六回 1655年(明暦元年) 家綱襲封祝賀
第七回 1682年(天和2年) 綱吉襲封祝賀
第八回 1711年(正徳元年) 家宣襲封祝賀
第九回 1719年(享保4年) 吉宗襲封祝賀
第十回 1748年(寛延元年) 家重襲封祝賀
第十一回 1764年(明和元年) 家治襲封祝賀
第十二回 1811年(文化8年) 家斉襲封祝賀(対馬に差し止め)
通信使忘れた頃にやって来る。
朝鮮通信使?朝貢団?
http://photo.jijisama.org/Ttsusin.html
ではお約束をば。
金仁謙『日東壮遊歌』(東洋文庫662・平凡社)
江戸時代の1764年(明和元年)に第11次朝鮮通信使として来日した金仁謙が書いた記録(原文はハングル)。
1月22日(大阪)
「美濃太守の宿所の傍らの 高殿にのぼり四方を眺める 地形は変化に富み人家もまた多く 百万戸ほどもありそうだ我が国の都城の内は東から西に至るまで一里といわれているが 実際は一里には及ばない富貴な宰相らでも百間をもつ邸を建てることは御法度屋根を全て瓦葺にしていることに感心しているのに大したものよ倭人らは千間もある邸を建て中でも富豪の輩は銅を以って屋根を葺き黄金を以って家を飾り立てているその奢侈は異常なほどだ南から北に至るまで ほぼ十里といわれる土地はすべて利用され人家、商店が軒を連ねて立ち並び中央に浪華江(淀川)が南北を貫いて流れている天下広しといえこのような眺めまたいずこの地で見られようか北京を見たという訳官が一行に加わっているがかの中原の壮麗さもこの地には及ばないというこの良き世界も海の向こうより渡ってきた穢れた愚かな血を持つ獣のような人間が世の興亡と関わりなくひとつの姓を伝えて来て人民を次第に増えこのように富み栄えているが知らぬは天ばかりなり 嘆くべし恨むべしである」
これは メッセージ 1 (justina_eto さん)への返信です.
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