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いくら何でもw

投稿者: greatjp22 投稿日時: 2006/12/08 04:59 投稿番号: [9146 / 30895]
よくもまあ、こんな日帝残滓丸出しのネタを

扱うもんだなあとwwwww

しかもWikiにYMCA野球団は1912年11月朝鮮スポーツ

史最初期の海外遠征として日本で試合を行っている

と出ている。すでにここで捏造が発覚wwwwww

1912年は「国内」であり朝鮮スポーツ史でなくて、

「日本の野球の歴史の1ページ」でありますwwww



100年前旧韓末の人たちで賑わう『YMCA野球団』




  今月1日夕、全羅(チョンラ)北道・完州(ワンジュ)郡・鳳東(ポンドン)邑・トゥンサン里、小さな草屋の酒屋『モクポジップ』からは、黄色い灯りが暖かく漏れ出していた。伝統のノリゲ(韓国組み紐)や傘、西洋の時計まで、何でもある「仲信商會本店」の軒先ではサントゥ(結婚した男の結い上げた髪)をした男が座って扇いでおり、木の電信柱の側では菓子箱を担いだ少年が「モチ!団子!」と叫んでいた。

  時間を遡り、100年前にタイムスリップしたような風景。ここは映画『YMCA野球団』の撮影現場だ。制作陣は雑草で埋もれた5000坪の公団の敷地に旧韓末の鐘路(チョンロ)通りの一部分をリアルに再現した。韓国に初めて野球が入ってきた1905〜06年を描く映画『YMCA野球団』の撮影のため、ここ数カ月の間に造られたセットだ。

「『将軍の息子』よりは古く、『酔画仙』よりは華やかな昔の町並みを造るため、歴史的資料に基き、全部新しく造り直した」という金ヒョンソク監督は、完成したセットに満足そうだった。セットの総制作費用は3億5000万ウォン。しかし、映画の中でこのセットが登場するシーンはたったの4シーン、約3分に過ぎない。


  テントの下に座っていた俳優とスタッフのほとんどはTシャツに半ズボン姿である反面、反対側の“100年前の鐘路通り”は韓服を着た少年や着物姿の日本人女性、西洋風のワンピースを着た女性など、100年前の人々で賑わっていた。「ホニー(honey)」、「ヒーロー(hero)」といった英語風の名前のたばこの広告が貼られた色褪せた旧式の黒い電車が、「ボーッ」と音を立てて彼らの側を通った。

  主演俳優の宋康昊(ソン・ガンホ)は訓長(私塾の先生)の息子に生まれ、YMCA野球団で4番打者を受け持つソンビ(学徳を備えた人)、ホチャンを演じる。道袍(男性の礼服の一種)を着て、困惑した表情で汽車駅の立ちすくんでは、「ああ、失敗したな。明日の正午までにはファンソンに着かなければならないんだが…」と呟くのが、この日の台詞の全てだった。

野球シーンの撮影のために、数カ月も炎天下で汗を流した宋康昊は、全身が小麦色に焼けていた。宋康昊は「野球バットを握ったのは、子供の時以来初めて」とし、「焼けた程度ではなく、完全に火傷をした」と言って笑った。2塁手と遊撃手の役を演じるリャンヒョン、リャンハの双子兄弟は撮影を終え、片隅で携帯電話でゲームを楽しんでいた。

  「カット」

  監督の静かな一言で、撮影場の端から端へと歩いて来た70人余りのエキストラたちが大急ぎで元の位置に戻った。時速5キロの速度でゆっくりと走ってきたバッテリー充電式の電車も元の位置に戻って行った。女子高生のような短髪をなびかせながら愉快な表情で自転車をこいでいた俳優、ファン・ジョンミンも、並んで走っていたカメラ車と一緒に出発位置に戻る。同じカットを何度も繰り返して、これでもう10回目。そろそろ、夏の日も暮れかけていた。

トゥンサン里(完州)=李自妍(イ・ジャヨン)記者

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/07/04/20020704000047.html
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