ハーバードで「イルボンは反省汁!」
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/05/24 09:13 投稿番号: [6718 / 30895]
>博士号の論文主題は、「韓国で米軍政に与えた日本の影響」
はぁ!
裏で美国をあやつるのはイルボンニダ!ってか?
さすがイルボン、美国も手玉に取るか。(笑)
>ソ氏は今後、また本を書く計画も立てている。日本による植民地時代を厳しく生きた父親を素材にした英文小説もある程度草稿をまとめてある状態だ。
つうかさあ、博士号まで取ったシトが、わざわざ「小説」で「イルボンは反省汁!」ですか。(笑)
せっかくハーバードに留学出来たのに、ど〜してもイルボンなんですか。(苦笑)
しかも論文ではなく、「小説」で。(笑)
>また、20年近い軍隊生活と16年間のハーバード大学時代のストーリーも出版の準備をしている。
自分の立志伝を易々と本にするシトは、信じられねえなあ。お涙頂戴ってか。
政治家や軍人としてある重要な局面にかんでいるというのなら理解出来るが。
ところでハーバードというと、カーター・J・エッカート教授がいるところか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31年間、学生の身分「恨を抱えて勉強しました」
MAY 24, 2006 03:02
「本当に夢みたいです。私が属したハーバード大学文理大では修士課程に入学してから10年以内に博士号を取るようになっているんです。私は1990年に修士課程に入学しましたから、00年からは毎年大学本部で『今年までに博士号が取れなかったら、学校を止めさせる』という『脅迫の手紙』を送ってきたんです。その都度、学科に私に事情を話して、了承を得てきたましたが…」
ソ・ジンギュ氏の履歴は平凡ではない。カツラ工場の女工、ゴルフ場食堂の従業員、家政婦として働くための米国行き、ニューヨークのレストランのウエートレス、2回の結婚と離婚、米軍入隊、14年間5つの大学を転々とした末に修士号を取得、42歳の年で少佐として除隊した後、ハーバード大学修士課程に入学…。
ハーバード大学で博士号を取得するのも、決して順調ではなかった。ハーバード大学国際外交史および東アジア言語学科でもらった博士号の論文主題は、「韓国で米軍政に与えた日本の影響」
「教授たちは、高齢の学生だからといって決して大目に見たりはしてくれません。何回も論文が突き返された時は、私が果たして博士号を取ることができるだろうかという懐疑を覚えました」
ソ氏は、博士論文を準備する過程でC型肝炎が悪化し、困難を経験した事実も打ち明けた。「どうしても身体を動かすことができないほど健康が悪くなって、病院へ行ったら、数値が危険な水準だったんです。勉強のため無理したらさらに悪化したようでした。このままだと、私は死ぬんじゃないかという気もしましたね。お医者さんは1年ぐらい治療を受けなければならないと言いました。でも、治療の過程があまりにもハードで勉強と並行するのは無理だと思い、結局、治療の時期を見送ったんです。もう博士号を取ったので、韓国へ帰って、1年ぐらい休みながら治療を受けるつもりです」
彼女にこれまでの数多くの逆境を乗り切れた力は何だったのか聞いた。
「若い時代は憤りとやせ我慢でした。『どうして私は無視されなければならないか』、『他の人よりもっと頑張らなければならない』というやせ我慢で生きてきました。ところが、私がある程度成就した後は、そのようなやせ我慢と憤りは消えました。今は『夢』のために生きています。私がこの年で博士号を取るために努力したのもこのためです。そして最近は、私の本を読んで希望を持ち新しいことに挑戦するようになったという読者からの手紙も大きな力になりました」
ソ氏は今後、また本を書く計画も立てている。日本による植民地時代を厳しく生きた父親を素材にした英文小説もある程度草稿をまとめてある状態だ。また、20年近い軍隊生活と16年間のハーバード大学時代のストーリーも出版の準備をしている。
(東亜日報)
はぁ!
裏で美国をあやつるのはイルボンニダ!ってか?
さすがイルボン、美国も手玉に取るか。(笑)
>ソ氏は今後、また本を書く計画も立てている。日本による植民地時代を厳しく生きた父親を素材にした英文小説もある程度草稿をまとめてある状態だ。
つうかさあ、博士号まで取ったシトが、わざわざ「小説」で「イルボンは反省汁!」ですか。(笑)
せっかくハーバードに留学出来たのに、ど〜してもイルボンなんですか。(苦笑)
しかも論文ではなく、「小説」で。(笑)
>また、20年近い軍隊生活と16年間のハーバード大学時代のストーリーも出版の準備をしている。
自分の立志伝を易々と本にするシトは、信じられねえなあ。お涙頂戴ってか。
政治家や軍人としてある重要な局面にかんでいるというのなら理解出来るが。
ところでハーバードというと、カーター・J・エッカート教授がいるところか。
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31年間、学生の身分「恨を抱えて勉強しました」
MAY 24, 2006 03:02
「本当に夢みたいです。私が属したハーバード大学文理大では修士課程に入学してから10年以内に博士号を取るようになっているんです。私は1990年に修士課程に入学しましたから、00年からは毎年大学本部で『今年までに博士号が取れなかったら、学校を止めさせる』という『脅迫の手紙』を送ってきたんです。その都度、学科に私に事情を話して、了承を得てきたましたが…」
ソ・ジンギュ氏の履歴は平凡ではない。カツラ工場の女工、ゴルフ場食堂の従業員、家政婦として働くための米国行き、ニューヨークのレストランのウエートレス、2回の結婚と離婚、米軍入隊、14年間5つの大学を転々とした末に修士号を取得、42歳の年で少佐として除隊した後、ハーバード大学修士課程に入学…。
ハーバード大学で博士号を取得するのも、決して順調ではなかった。ハーバード大学国際外交史および東アジア言語学科でもらった博士号の論文主題は、「韓国で米軍政に与えた日本の影響」
「教授たちは、高齢の学生だからといって決して大目に見たりはしてくれません。何回も論文が突き返された時は、私が果たして博士号を取ることができるだろうかという懐疑を覚えました」
ソ氏は、博士論文を準備する過程でC型肝炎が悪化し、困難を経験した事実も打ち明けた。「どうしても身体を動かすことができないほど健康が悪くなって、病院へ行ったら、数値が危険な水準だったんです。勉強のため無理したらさらに悪化したようでした。このままだと、私は死ぬんじゃないかという気もしましたね。お医者さんは1年ぐらい治療を受けなければならないと言いました。でも、治療の過程があまりにもハードで勉強と並行するのは無理だと思い、結局、治療の時期を見送ったんです。もう博士号を取ったので、韓国へ帰って、1年ぐらい休みながら治療を受けるつもりです」
彼女にこれまでの数多くの逆境を乗り切れた力は何だったのか聞いた。
「若い時代は憤りとやせ我慢でした。『どうして私は無視されなければならないか』、『他の人よりもっと頑張らなければならない』というやせ我慢で生きてきました。ところが、私がある程度成就した後は、そのようなやせ我慢と憤りは消えました。今は『夢』のために生きています。私がこの年で博士号を取るために努力したのもこのためです。そして最近は、私の本を読んで希望を持ち新しいことに挑戦するようになったという読者からの手紙も大きな力になりました」
ソ氏は今後、また本を書く計画も立てている。日本による植民地時代を厳しく生きた父親を素材にした英文小説もある程度草稿をまとめてある状態だ。また、20年近い軍隊生活と16年間のハーバード大学時代のストーリーも出版の準備をしている。
(東亜日報)
これは メッセージ 1 (greatjp22 さん)への返信です.
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