誇らしい臨時政府
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/02/20 00:05 投稿番号: [5368 / 30895]
韓国の教科書によれば臨時政府が第二次大戦で「勝利」したそうです。
世界的に認められてないのに自慢になるのかな?
一番気の毒なのは、朝鮮人の無意味な自尊心に付き合わされる、
この建物の住人たち・・・
『フランスの』建物に『韓国の』看板を掛けるって、
とーーーーっても違和感を感じるですが・・・
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臨時政府のパリ代表部の看板設置へ
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/02/19/20060219000014.html韓国とフランスの国交樹立120周年を迎える今年、3.1独立運動記念日にあわせ、1919年に大韓民国臨時政府のパリ代表部が使った建物に、これを記念する看板が掛けられることになった。
外交通商部の関係者は今月17日、「この建物については数十年前から知られていたが、これまで建物の所有者と入居者の反発によって看板を掛けることができなかった」とし、「3〜4年前から韓国大使館が積極的に説得に乗り出し、今回了承を得た」と述べた。この建物はパリ市内の「シャトドン」通りの38番地に位置する7階建ての石造建物で、現在は商店街やオフィス、一部は住居用として使われている。
看板には「ここに大韓民国の臨時政府委員会が位置していた」とフランス語で書かれ、「大韓民国臨時政府パリ委員部庁舎1919〜1920」というハングルが一緒に書かれる。
当時、新韓青年党代表でパリ講和会議に出席した金圭植(キム・ギュシク)は、李灌龍(イ・グァンヨン)、金復(キム・ボク)、趙素繡(チョ・ソアン)などとともに韓国代表団を構成した。その直後、臨時政府が樹立し、金圭植は外務総長兼パリ講和会議の大韓民国委員および駐パリ委員部代表委員として選任された。この建物は当時、活動の拠点となったが、財政難でわずか1年で閉鎖してしまった。
これまで建物の所有者と入居者は、文化財に指定された場合に使用権や住宅価格に不利益を被ることを懸念し、看板の設置を拒んできた。
朝鮮日報
これは メッセージ 1 (greatjp22 さん)への返信です.
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