日本人を無礼であると言う朝鮮マスコミw
投稿者: greatjp22 投稿日時: 2011/07/21 05:59 投稿番号: [25271 / 30895]
王仁という人物は応神天皇の御世に日本に来たということ
が歴史書に記されている人物。だとすればAD200年代。
千文字文はAD500年代である。この程度のことも知らずに
偉そうに無礼であるなどとww 朝鮮人の歴史認識というのは
この程度のものなのだろうねえw
近くて遠い国、日本。文字教えた恩にいつも感謝すべきなのに傲慢無礼
日本に対するなじみ深い表現がある。‘近くて遠い国’だ。
'近い'という言葉は地理的に韓国と日本の距離が短いという意で、‘遠い国’という言葉は両国が好意的な間ではないという意味だ。
この言葉はつまり日本は地理的に近い国だが心では遠く感じられる国という意味だ。
もちろんここには否定的な意味が含まれている。
私たちが日本と交流したのはかなり古い。
近い国どうし互いに文化交流をすることは自然な現象だ。地続きの中国との交流は言うまでもない。
韓・中・日三カ国の交流の歴史は深い。
歴史的に見る時、この交流の方向は中国→韓国→日本と流れたとみられる。
しかし今は交流の方向が変わった。日本→韓国→中国で文化伝播と受容の流れが変わった。
それでは日本のこのような交流逆転の力はどこから出たのだろうか?
様々な側面で分析が可能だが、このコラムでは文字と関連して調べることにする。
かつて中国は古代文明の花を咲かせた。
その土台は漢字にある。
一国の力を集めて発展させ開花させる条件は文字にある。
中国人は自らの言葉を書くことができる漢字を作って便利な文字生活を享受してきた。(中略)
このように作られた漢字は地理的に近い我が国に先に入ってきた。
仏教伝来と建国にともなう自然な受容だった。
仏教が時代を経てこの土地に根をおろして高句麗・百済・新羅三国が各々国家体系を形成できたのも漢字があったから可能だった。
一方、海の彼方の日本はまだ文字生活を享受できなかった。
文字がないから自らの考えと力を体系化したり集中できなかった。
そうした時に百済の王仁博士が日本に渡って論語と千字文を伝えた。
それは、未開だった島国日本の人々にはなかなか大きな贈り物ではなかったか。
中国の文字と聖人の思想を同時に味わうことができたので一種のカルチャーショックだったかもしれない。
(中略)
さらにひらがななど自分たちの独自文字を作った日本人たちは考えを整えて発展させ国力を育てた。
合わせて外国の先進文物を受け入れた。
その土台は日本文字にあった。
これは彼らの全てを完全に変えた。
すると自分たちの政治的安定と国力を国外に誇示して試験できる機会を模索した。
その最初が壬辰倭乱だった。
日本はもはや論語と千字文を受け入れた過去の日本ではなかった。
鳥銃など最先端武器で武装した倭軍は朝鮮を荒地にした。
面倒なので後略
が歴史書に記されている人物。だとすればAD200年代。
千文字文はAD500年代である。この程度のことも知らずに
偉そうに無礼であるなどとww 朝鮮人の歴史認識というのは
この程度のものなのだろうねえw
近くて遠い国、日本。文字教えた恩にいつも感謝すべきなのに傲慢無礼
日本に対するなじみ深い表現がある。‘近くて遠い国’だ。
'近い'という言葉は地理的に韓国と日本の距離が短いという意で、‘遠い国’という言葉は両国が好意的な間ではないという意味だ。
この言葉はつまり日本は地理的に近い国だが心では遠く感じられる国という意味だ。
もちろんここには否定的な意味が含まれている。
私たちが日本と交流したのはかなり古い。
近い国どうし互いに文化交流をすることは自然な現象だ。地続きの中国との交流は言うまでもない。
韓・中・日三カ国の交流の歴史は深い。
歴史的に見る時、この交流の方向は中国→韓国→日本と流れたとみられる。
しかし今は交流の方向が変わった。日本→韓国→中国で文化伝播と受容の流れが変わった。
それでは日本のこのような交流逆転の力はどこから出たのだろうか?
様々な側面で分析が可能だが、このコラムでは文字と関連して調べることにする。
かつて中国は古代文明の花を咲かせた。
その土台は漢字にある。
一国の力を集めて発展させ開花させる条件は文字にある。
中国人は自らの言葉を書くことができる漢字を作って便利な文字生活を享受してきた。(中略)
このように作られた漢字は地理的に近い我が国に先に入ってきた。
仏教伝来と建国にともなう自然な受容だった。
仏教が時代を経てこの土地に根をおろして高句麗・百済・新羅三国が各々国家体系を形成できたのも漢字があったから可能だった。
一方、海の彼方の日本はまだ文字生活を享受できなかった。
文字がないから自らの考えと力を体系化したり集中できなかった。
そうした時に百済の王仁博士が日本に渡って論語と千字文を伝えた。
それは、未開だった島国日本の人々にはなかなか大きな贈り物ではなかったか。
中国の文字と聖人の思想を同時に味わうことができたので一種のカルチャーショックだったかもしれない。
(中略)
さらにひらがななど自分たちの独自文字を作った日本人たちは考えを整えて発展させ国力を育てた。
合わせて外国の先進文物を受け入れた。
その土台は日本文字にあった。
これは彼らの全てを完全に変えた。
すると自分たちの政治的安定と国力を国外に誇示して試験できる機会を模索した。
その最初が壬辰倭乱だった。
日本はもはや論語と千字文を受け入れた過去の日本ではなかった。
鳥銃など最先端武器で武装した倭軍は朝鮮を荒地にした。
面倒なので後略
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