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独立門を元の場所に戻せないのか

投稿者: greatjp22 投稿日時: 2010/10/12 23:04 投稿番号: [22315 / 30895]
けっこう属国だった史実を否定する馬鹿って多いけど、

独立門なんて独立国家だったら全く必要ないんだよねw

だから、日本には独立記念日とか無いからw


【コラム】独立門を元の場所に戻せないのか(上)

  ソウル市が市内各地の高架道路を撤去しているのは好ましいことだ。過去数年間に、清渓高架道や弥阿里、苑南洞、漢江大橋北、恵化洞、光煕洞の高架道路が次々と取り壊された。最近では退渓路の会賢高架道が撤去され、韓国銀行側からすっきりと南山を望められるようになった。

  高架道路が1本撤去されるたびに、常々停滞しているソウル市内の交通状況がさらに悪化するのではないか、と心配は尽きない。だが交通の問題は、それほど深刻なものではないことが分かった。市民は、都心のあちこちに登場した奇怪なセメントの塊を取り払ったことでもたらされた心理的・視覚的な解放感に比べれば、交通の停滞が多少増すくらいは我慢できると考えているようだ。

  清渓高架道が建設された1970年ごろ、ソウルを走る自動車は7万台だった。それでも高架道路を建設するか、陸橋を作るのかをめぐり大騒ぎとなった。速度と効率を最優先にした時代の雰囲気が、そうさせたのだ。現在、ソウル市に登録されている自動車は298万台。車の数は数十倍に増えたが、多くの市民は高架道路を撤去する方に賛成だ。

  これほど大きく変わった時代の流れを見る度に残念に思うのが、高架道路の建設に伴い、元の場所から追い払われた独立門だ。史跡第32号独立門は、 79年に城山大路を建設し、金華トンネルと社稷トンネルに続いてヒョンジョ高架道を建設する際、北に70メートル離れた現在の場所に移された。その結果、義州路の真ん中に堂々と立つべき独立門は、西大門側から見ても、母岳峠側から見ても、一方に隠れているかのような格好だ。高架道路によって、周辺の景観は台無しになった。しかし、ヒョンジョ高架道は、ソウル市が進めている高架道路撤去事業の対象には含まれていない。


【コラム】独立門を元の場所に戻せないのか(下)


  独立門は、元々建っていた場所にこそ本来の意味がある。朝鮮時代に中国の使臣を額を付いて出迎えた迎恩門を取り壊し、その場所に、自主と自強の象徴として独立門が建てられた。迎恩門という名前は、中国の「恩寵」を格別の恩典として受けるという意味で、中国の使臣が命名した。独立門の建設において中心的な役割を果たした革命家の徐載弼(ソ・ジェピル)は、「わたしは故国に帰り、何よりもこの汚れた門、恥ずかしい門をなくしたいと堅く決心した」と自叙伝につづっている。

  朝鮮時代の国王や世子は、中国皇帝の承認を受けなければ即位できなかった。旧韓末、26歳でソウルにやって来た袁世凱は、「袁大人」「監国大臣」と呼ばれ、あたかも総督のように朝鮮の朝廷を振り回した。こうした事情を知っていれば、迎恩門を撤去してその場所に独立門を建てることが、韓国5000年の歴史上いかに革命的なことだったかを理解し、高架道路の建設を理由に独立門を移すことなどできなかったはずだ。独立新聞は1896年6月の社説で、「この門は、単に中国からの独立を意味するものではなく、日本、ロシア、そしてすべての欧州列強からの独立を意味する。独立門よ成功せよ。そして次の世代に、道を忘れざらしめよ」と訴えた。

  徐載弼が今、独立門の頭上を押さえつけるかのように高架道路が走っている姿を見たら、何と言うだろうか。ソウル市が、今はなき敦義門(西大門)を本来の位置に復元しようと検討している中で、独立門の原状回復については計画すら立っていないというのは、理解に苦しむ。10年、20年かけてでも、必ずや元の位置に戻すという意志を持って、その方法を研究することを望む。

金泰翼(キム・テイク)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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