恐怖の調味料w
投稿者: greatjp22 投稿日時: 2010/04/04 22:16 投稿番号: [19411 / 30895]
それはいいとして、いつ抗日運動なんてしてたのやらw
韓国人の味覚を飼い慣らした初の化学調味料、味の素の新聞広告。資料写真
(前略)1910年代から1940年代までの朝鮮の民族運動史、抗日運動史を見てきた。ところで植民地期は、抗日をして日本と戦う時期であったと同時に、私たちが近代を生きる体験の時期でもあった。このため私たちが解放後に米国式資本主義を簡単に受け入れられたのかも知れない。私たちが戦った日本がどんな国であったかを初めに説明したように「私たちが過ごした植民地期がどんな社会だったか」を説明することは、民族運動が持つ歴史的意味をさらに正確に見せてくれる。
日本が発明した化学調味料が「味の素(アジノモト)」だ。日本強制占領期間に味の素を料理に使うのは「非常に啓蒙された人、開放的で近代的で家族のために尽くす人々」だった。味の素の広告には「李王家名品」と書かれている。ここで李王家は朝鮮王朝を意味し、李王家が使う名品という意味だ。日帝強制支配期に味の素はそのような象徴だった。ところが大韓民国の調味料の歴史
で、化学調味料の有害性の論議が本格的に起きたのは1980年代だ。それまでは化学調味料はたくさん入れる人ほど家族を幸福にする人だったということだ。
解放後、我が国の代表的な化学調味料は「味元(ミウォン)」だ。その競争者は「味風(ミプン)」だ。しかし、味風は味元に絶対勝てなかったし勝てる訳もなかった。その理由は何だろうか?1945年8月に家庭の主婦をしていた者の八割は、1955年8月にも家庭の主婦だっただろう。彼女たちに味元という漢字を見せれば何と読んだろうか?アジノモトと読んだはずだ。日本帝国主義の潜在化された記憶を引きずって広告の効果、認知度の効果を極大化させたのが味元だという事だ。味風が絶対に勝てない歴史的限界だった。それほど「味の植民地」は根が深かった。
もう一つ、衣服の例をあげよう。日本強制占領期間に我が国の女性たちが洋装への拒否反応を減らすことに決定的な役割を果たしたのが制服だった。制服は男女を問わず制服自由化前の1983年までは普通の衣装だった。さらに今でも名節によく見られる韓服に靴を履いたお父さんたちの姿。これは日帝強制支配期に形成された韓国男性の近代的な身なりの典型だ。
独立運動は一方で民主主義守護運動
1920年代と30年代に形成された文化と価値体系は今日、私たちが極めて普遍的に受け入れているものと根元で結びつく。それは近代的な生活、文明的な暮らしの価値体系だ。そしてその時代に展開された独立運動の価値体系もまた今の私たちの社会の時代精神である民主主義の値体系と同根だ。日本帝国主義が民主国家でなかったため、日本帝国主義と戦った独立運動は一方で民主主義を守るための運動だった。民主主義という価値は私たちが日本帝国主義支配下にあったので知らなかったが、解放後60年代4・19をたどりながら骨身にしみるほど認識することとなった。
日帝強制支配期に私たち民族は西欧的文明秩序の中で人生を学んだ。反面、政治的に生きることを通じて民主主義、日常の道徳的規律としての民主主義的な人生はきちんと学べなかった。これが「植民残滓」だ。
シン・ジュベク延世大国学研究員HK研究教授
整理=パク・ジョンチャン記者
韓国人の味覚を飼い慣らした初の化学調味料、味の素の新聞広告。資料写真
(前略)1910年代から1940年代までの朝鮮の民族運動史、抗日運動史を見てきた。ところで植民地期は、抗日をして日本と戦う時期であったと同時に、私たちが近代を生きる体験の時期でもあった。このため私たちが解放後に米国式資本主義を簡単に受け入れられたのかも知れない。私たちが戦った日本がどんな国であったかを初めに説明したように「私たちが過ごした植民地期がどんな社会だったか」を説明することは、民族運動が持つ歴史的意味をさらに正確に見せてくれる。
日本が発明した化学調味料が「味の素(アジノモト)」だ。日本強制占領期間に味の素を料理に使うのは「非常に啓蒙された人、開放的で近代的で家族のために尽くす人々」だった。味の素の広告には「李王家名品」と書かれている。ここで李王家は朝鮮王朝を意味し、李王家が使う名品という意味だ。日帝強制支配期に味の素はそのような象徴だった。ところが大韓民国の調味料の歴史
で、化学調味料の有害性の論議が本格的に起きたのは1980年代だ。それまでは化学調味料はたくさん入れる人ほど家族を幸福にする人だったということだ。
解放後、我が国の代表的な化学調味料は「味元(ミウォン)」だ。その競争者は「味風(ミプン)」だ。しかし、味風は味元に絶対勝てなかったし勝てる訳もなかった。その理由は何だろうか?1945年8月に家庭の主婦をしていた者の八割は、1955年8月にも家庭の主婦だっただろう。彼女たちに味元という漢字を見せれば何と読んだろうか?アジノモトと読んだはずだ。日本帝国主義の潜在化された記憶を引きずって広告の効果、認知度の効果を極大化させたのが味元だという事だ。味風が絶対に勝てない歴史的限界だった。それほど「味の植民地」は根が深かった。
もう一つ、衣服の例をあげよう。日本強制占領期間に我が国の女性たちが洋装への拒否反応を減らすことに決定的な役割を果たしたのが制服だった。制服は男女を問わず制服自由化前の1983年までは普通の衣装だった。さらに今でも名節によく見られる韓服に靴を履いたお父さんたちの姿。これは日帝強制支配期に形成された韓国男性の近代的な身なりの典型だ。
独立運動は一方で民主主義守護運動
1920年代と30年代に形成された文化と価値体系は今日、私たちが極めて普遍的に受け入れているものと根元で結びつく。それは近代的な生活、文明的な暮らしの価値体系だ。そしてその時代に展開された独立運動の価値体系もまた今の私たちの社会の時代精神である民主主義の値体系と同根だ。日本帝国主義が民主国家でなかったため、日本帝国主義と戦った独立運動は一方で民主主義を守るための運動だった。民主主義という価値は私たちが日本帝国主義支配下にあったので知らなかったが、解放後60年代4・19をたどりながら骨身にしみるほど認識することとなった。
日帝強制支配期に私たち民族は西欧的文明秩序の中で人生を学んだ。反面、政治的に生きることを通じて民主主義、日常の道徳的規律としての民主主義的な人生はきちんと学べなかった。これが「植民残滓」だ。
シン・ジュベク延世大国学研究員HK研究教授
整理=パク・ジョンチャン記者
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