Re: kity_kity266さんへ
投稿者: kity_kity266 投稿日時: 2008/07/04 10:29 投稿番号: [12979 / 30895]
1937年の北支事変(盧構橋事件)から始まる一連の支那事変は、当時の不拡大方針に徹していた幣原外交の日本を執拗に挑発した共産軍の工作が起因でした。
国民党政府の将介石は当時対抗勢力として第一は“獅子身中の虫”共産軍を殲滅する事が先決とし、日本軍とは事実上停戦状態でした。しかし彼は共産軍に捕捉され殺されかけましたがスターリンの命で処刑を免れ、日本軍と戦う事を強要されます(国共合作)。それでもなかなか行動を起こさなかった国民党軍と、日本軍を共産軍の工作兵があらゆる手段で焚き付け支那事変の口火を切ったのです。
共産軍工作兵は日本軍への攻撃は勿論、国民党軍への攻撃も行いました。当時何百件も頻発していた邦人居留民の虐殺も共産軍の日本挑発作戦の一貫でした。一度紛争が勃発すると戦火は広がり上海で全面戦争となります。
南京事件(所謂南京大虐殺)も国民党軍が劣勢となり重慶に撤退が始まると共産軍ゲリラはここぞとばかり国民党軍の追い討ちを行います。南京は国民党軍の焦土作戦、日本軍の攻撃、共産軍ゲリラの暗躍で入り乱れていたのです。
ちなみに焦土作戦とは追撃する敵軍の食料・物資補給を意図的に絶つ事を目的とし、地域住民の命は一切考慮しない捨て身の戦法で将介石は南京での衝突前に既に決めていた作戦でした。中国では伝統的な戦術です。
これは メッセージ 12965 (h369jp さん)への返信です.
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